ラヴァンを作り出している。が更に、新時代には、生活衰弱者までが吾々の眼に映る。
      *
 生活衰弱も、近代の病弊の一つである。例を、手近に、竜胆寺雄氏の魔子にとってみよう。
 魔子は、「からだのつくりは全体的に華奢だ。そこには近代的な実用の美も逞しい生活のエネルギーも感じられない。あらゆる美がそこでは消費的だ。没落した家系の裔らしいはかない美しさだ。一つはこれはブルジョア的な少女時代の生活環境の影響だが、皮下脂肪の沈澱がないので、見かけはからだも手脚も男の子のように繊すらと締っているが、発育の華奢な筋肉の中から時折痛々しく骨が覗いたり、要するにじき疲労する非生産的な靱かさがあるだけだ。」そういう彼女が、性情的には、男性的分子ばかり多く、女性的分子は次第に失われていって、「今では申しわけほどちょっぴりと、それが左手の薬指の先だとか、靴の踵だとかに残っているだけで……男の子と変りがなくなってしまっている。」
 十八歳の断髪のそういう彼女は、銀座裏の豪華なカフェーの屋根裏に、夫であり愛人である年若い建築美術家と暮している。そして新しい映画を見に出歩き、卓子大のチョコレートを夢想し、湯
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