、そして甚だ水っぽく稀薄なのである。すぐ近くが吉原の大門で、そこを出入りする人には気の毒であるが、この大門に用のない吾々にとっては、水っぽくて美味な酒が有難かった。もっとも、小林でいつもそういう酒を用いていたかどうかは分らない。海千河千といった気の利いた女中がいたので、酔っ払いの客にだけ特に出してくれたのかも知れない。その酒を飲んでいると、酔いざめの水の作用までしてくれて、東が白む頃までには、全くお誂え向きの程度にまで酔いがさめてくる。少くとも、外が明けるまでうまく飲み通せるのである。
 この小林で、私はしばしば武田麟太郎に出会った。両人とも、小林に始終行きつけていたわけではない。なにかこう人生をまた文学を摸索しあぐんで、お互いの思惟内容は多少異りながらも、市井のゲテ飲酒のうちに彷徨するという、そういう時期がたまたま一致したのでもあろうか。いや、そういう時期は両人とも幾度か持ったので、或は常に持っていたので、ただ小林に足が向きがちな時がたまたま一致したのであろう。
 不思議なことに、武田と私は、どちらも一人きりの時に出会った。武田の方に連れがあるか、私の方に連れがあるか、そんな時に出会
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