ったことは一度も覚えていない。そして出会ったのはいつも深夜だ。つまり、どちらも、さんざん何処かを飲み廻って、連れの友人たちとも別れてしまい、ただ一人でふらりと小林に足が向いた、そういう恰好だったのである。
 深夜、私が馬肉の鍋に差し向い、美味で稀薄な酒を相手に、ぼんやりしていると、武田がのっそりはいってくる。また、深夜、私がふらりとはいっていくと、武田が一人ぼんやりしている。海千河千の気の利いた女中が、奥の小部居で両人を一緒にしてくれるのである。互に顔を合せても、やあ、と言うきり、会釈代りの笑顔さえも不用で、何の遠慮もなく、餉台に向い合って、食いたければ勝手に食い、飲みたければ勝手に飲んだ。あまり話をするでもなく、心に止ってる言葉とてもない。
 ところが、或る夜、らっきょうが小皿に山盛りに出ていた。そのらっきょうを、どういうわけだったか、私は歯で一皮一皮むいて、猿のようなやり方で、一皮ずつ食べていった。最後の芯まで一皮ずつ食べていった。幾粒か食べてるうちに、武田が突然笑いだした。
「まるで僕みたいだ。」
 私は顔を挙げた。
「え、いつもこんな食い方をするのか。うまくないよ。」
「いや、らっきょうが……。いくら皮をむいても、何にも出て来ない。」
 武田はまた笑った。私も笑った。朗かな笑いだった。
 いくら皮をむいても何にも出て来ない、つまり、如何に裸になり真剣になっても大した仕事が生れない、と言うのは武田の卑下であって、彼は確かな芯を持っていた。私自身、いくら皮をむくつもりでも、すっかりはむけないし、大した仕事も生れ出ないことを、自ら歎じてはいたが、それでも芯についての自信はあった。だから二人とも声を揃えて、朗かに笑った……らしい。
 笑ってしまえば、もうそれでよいのだが、さて、芯の問題を離れて、皮の問題だけが残ったのである。そして私達は珍らしく、文学論……というよりは作家論を初めた。
 一皮むけば違った人間になる、つまり嘘かごまかしかの皮をかぶってる、そういう作家が最も下等だ、という前提のもとに、私達は仲間の文学者達を批判した。このことについて、武田は厳粛であり痛烈であり尖鋭であった。――この時の彼の意見を述べれば長くなるし、また酔余の論議なので私は充分に記憶していない。
 ただ、こういう作家論を痛快にやってのけた武田自身こそ、嘘やごまかしの皮をかぶること最も少い作
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング