彼女は恰もその問を待っていたかのように、朝から堅く噤んでいた口を俄に開いた。
「松本さんはいらっしゃりゃしません。河野さんの所へでもいらしたんでしょうよ。あなたよくお聞きなさるがいいわ。河野さんは私にこうお云いなすったのです。今更光子をあなたの家へ引取るわけにもゆくまいし、それかといって、光子の心はひどく荒《すさ》んでるようだから、他処へやるのもどうかと思う。それで事がきまるまで、私が預っておくとしよう。知らない前は兎に角、松本という人のことを知った以上、私は誰にも指一本ささせないようにして、光子を清く保護してみせる。それから松本という人には、まさかあなた達から話をする訳にもゆくまいから、一層全く知らない他人の私から、ざっくばらんに打明けてその上の心持を聞くとしよう……とそうなんです。それでもあなたは恥しくないんですか。私は顔から火が出るような思いをしました。まだあの女を家に連れて来た方が、どれだけいいか分りません。それも出来ないようなことに、誰がなすったのです!」
彼女の眼は憎悪に燃え立っていた。然しその憎悪は、単に私にばかりではなく、一切の成り行きにも向けられてることを、私は
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