な憤激が、私の方へ向けられないで、彼女自身の方へ向けられてるのを感じて、私はその隙に乗じようとした。
「そういう風にお前は、自分自身をいじめているが……実は……。」
「いいえ、」と彼女は私の言葉を押っ被せた。「実はだの本当はだの、そんなもの何もありゃしないわ。何にも……。私はただこうなっただけよ。あの時からもう……。」
「それじゃなぜ、今日やって来たんだい?」
「あなたが是非来いと仰言るから……。」
「それだけ?」
「ええ、それだけよ。」
乾ききった唇を少し歪め加減にくいしばって、彼女はじっと私の方を見つめた。色褪せた菊の花の影から、先の尖った大きな鼈甲の簪が細かく震えているのが、しきりに私の心へ触れてきた。私は立上って少し歩きながら云った。
「僕は今日、お前と喧嘩をするために此処まで来て貰ったのじゃない。ゆっくり落着いて話してみたかったのだ。お前の心をよく聞いてみたかったのだ。お前の心次第で……。」その時私の頭に非常な勢で新たな考が閃めいた。「初めはあんな風だったけれど、何にも囚われない自由なのびのびとしたお前に、僕は……恋したのかも知れない。何もかも打捨ててしまって、お前と勝手気
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