をよく整えてくれた。そして三人の子供を設けた。家族が増すにつれて私の収入だけでは生活困難だったけれど、一番上の子が病気で入院した時をきっかけに、金のいる時にいつも妻が河野さんから借りてくる習慣になってしまった。河野さんは昔妻の父から恩義に預ったことがあるとかで、心よく私達の世話をしてくれた。向うでは何でもないことだったろうけれど、実業界に羽振のいい河野さんがついていてくれることは、私達にとっては非常に力強く、自然とその庇護に安んずるような惰性がついた。そして表面上、私達はまあ幸福な生活をしていたのである。所がその安穏幸福というやつがいけなかった。私達の生活にはいつしか、張りがなくなり、力がなくなっていた。私は元来文学が好きで、法科をやりながらも文芸書ばかり読み耽った。卒業後もずっと、会社員になり済そうか、それとも文学で身を立てようかと、それを迷い続けてきた。生活の脅威と重圧とがなかったために、いっまでも決心がつかなかった。河野さんの口利きで、今の会社の社長秘書といった無為閑散な冗員になり、一方では英語の小説の飜訳などをしていた。然し両方とも私の本当の仕事ではなかった。本当の仕事は、ずっ
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