女に逢うと愛情が起るんでしょう! 性慾を軽蔑していたなんて、よくも図々しいことが云えたものですわ。」
「いや実際少しも光子に心を動かしたのじゃない。肉体的に躓くことはあったにしろ、僕は心の上では一度もお前に背いたことはないつもりだ。それだけはお前も信じてくれていい筈だ。」
「それでは、あなたはどうして私を河野さんの家へおやりなすったのです? なぜその前にこうこうだと仰言らなかったのです? 私にあんな恥しい目を見さしておいて、何が心の上では……でしょう。私河野さんの前で、ほんとに穴でもあればはいりたいような、泣くにも泣かれず、額からじりじり汗が出て……。」
「え!」と私は思わず声を立てた、「河野さんが……河野さんがお前に云ったのか。」
 私の心の奥に巣くっていた浅間しい感情が、突然はっきりと姿を現わしてきた。そういう私がそういう場合に彼女に嫉妬するとは、何ということだったろう! 然しその時私は忌わしい想像を振り落すだけの力がなかった。
「どんな風に、どんな場合に、河野さんはお前にそれを話したのか?」
 彼女は呆気に取られたように私の顔を見守った。私はなお執拗に迫っていった。すると突然、彼女の顔にはありありと恐怖の色が浮んだ。それが私を更に駆り立ててきた。
「お前は前から河野さんとは親しくしていたろう。恥しい思いをしたことはないのか。」
 云ってしまってから私はぎくりとした。余りに忌わしい調子だった。もっともっと落着いて……そう思って云い直そうとしたが、もう遅かった。彼女はまるで死人のような顔色になった。顔色ばかりではなく、眼も頬も口も冷たくこちこちになってしまった。
「浅間しいとも何とも、あなたは!」
「いや僕はただ……。」
「聞きたくありません!」ぷつりと云い切ってから、暫くすると、こんどはひどく激昂してきた。「あなたは自分がそうだから私までもそんな女だと思っていらっしゃるのですか。あなたがそのつもりなら、私だってそうなってみせます。それこそ油断をして、性慾を軽茂して、世の中を甘く見て、河野さんを立派に誘惑してみせますわ。それがあなたのお望みなんでしょう。あなたは自分が疚しいものだから、私にもけちをつけたいんでしょう。」
「お前はそんなめちゃなことを云って、自分で恥しくないのか。」
「あなたこそめちゃなことを仰言るんです。」
 会話はそんな風に実際めちゃになっていっ
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