なすって、泊っていってもいいってことになったんですの。それでも、今晩は同じ室に寝ない方がいいと云って……それも私を愛してるからですって!……御自分は別の室に寝ようとなさるんです。そうなりゃ私も意地で、是非帰ると云ったんですけれど、とうとう、私が外の室に寝ることにして、泊ってしまいました。それも下座敷の穢い室で、畳の辺《へり》は擦り切れ、壁に新聞の附録か何かの美人画がはりつけてあって、狭い床の間には古机が一つ横倒しになっています。その中で私は、下宿屋の薄い穢い布団にくるまって、涙が独りでにこぼれてきました。松本さんは私に、今晩はこれで辛抱して下さい、こんな風にするのもあなたを愛してるからで、後で分る時が来ますって、そう仰言ったけれど、そんな愛し方ってあるものでしょうか。私が何もかもうっちゃって縋りついていったのに、帰れと云ったり別の室に寝かしたりして……あら私、何も一緒にどうのっていうんじゃありません、せめて同じ室にくらい寝かしたってよさそうなものですわ。私口惜しくって、夜中過ぎまで震えながら泣いていましたが、もうどうとでもなれと諦めて、それに前の晩一眠りもしなかったんですもの、朝遅くまで寝入ってしまいましたの。松本さんは早くから起上って、何度も私の室を覗きにいらしたんですって。私ほんとに恥をかかされちゃったんですの。そのまま飛び出してやろうかと、よっぽど思ったんですけれど、無理に我慢していますと、松本さんは変にしおれ返った様子で、私の手をじっと握りしめなさるんです。でも私知らん顔をしてやりましたわ。それから、二人で先生の家へ行こうと仰言るのを、逃げるようにして飛び出してきました。そして一人で外を歩いてるうちに、どうしていいか分らなくなって、やはり先生にお話してみようと思って、お伺いしたんですの。一昨日《おととい》の晩からのことを考えると、何だか夢のような気がしたり、またいろんなことが眼の前に押し寄せてきたりして、自分で自分が分らなくなってしまいますわ。どうしたらいいんでしょう? でも、どうせ私は……。」
光子はぷつりと言葉を切って、突然何かに腹を立てでもしたように、早めにすたすたと歩き出した。私達はそれまでに、池を一周半ばかりしたのだった。
光子の話の中で、殊に私の注意を惹いたことが三つあった。河野さんの口から洩れたという私の妻のことと、河野さんが殆んど毎晩のよ
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