のとでもお思いなすったのでしょう、初め何だか嬉しそうにそわそわしていらしたが、私の様子がやはり変だったと見えて、いやに真面目な鹿爪らしい調子で、いろんなことをお聞きなさるんです。私も初めから何もかも訴えて縋りつくつもりだったものですから、これまでのことを残らず話してしまいましたの。すると、松本さんは非常に憤慨なすったので、私もまた更に腹が立ってきて、二人でさんざん河野さんの悪口を云っていますと、途中から、松本さんはいやに黙り込んでおしまいなさるんです。晩の御飯を頂いてる時なんか……だって外に出かける間がないうちに、日が暮れてしまったんですもの。下宿屋の御飯なんか、薄穢くて私もうつくづく厭ですわ。それを松本さんはうまそうに召上りながら、何だかじっと考え込んで、碌々私に返辞もなさらないんでしょう。そして御飯が済んで暫くたつと、いきなり私の方に向き直って、河野さんのやり方は何処までも悪い、然しあなたは全然正しいかって、そう仰言るんです。全然正しいって……まあ何のことでしょう。私呆れて返辞も出来ませんでしたわ。それからが過去の問題なんです。……ああ、もうお話しましたわね。で私は、松本さんが私と河野さんとの間を疑っていらっしゃるのだと思って、そんな邪推を受ける覚えはないと、繰り返し云ってやりましたの。所が松本さんは、あなたの方が私の云うことを邪推してるんだって、そう仰言るじゃありませんか。それから面倒くさい理屈になって、私ほんとに弱ってしまいましたわ。恋愛は人間の一種の煉獄で、それに飛び込むには、過去を懺悔し合い赤裸々になって、なお未来を誓うだけの勇気がなければ、いけないんですって。それからまだいろんなむつかしいことを仰言ったけれど、私一々覚えてやしません。そして私が、愛というものは理屈じゃなくて、どうにも出来ない気持の上のものだと云うと、それにも賛成なさるんでしょう、結局何のことだか分りやしないわ。それから変にちぐはぐな気持になって、長い間黙り込んだりしてるうちに、時間がたってしまいましたの。松本さんは喫驚したように時計を見て、もう帰らなけりゃいけないんでしょうと仰言るんです。河野さんの家へ帰るのは厭だと云うと、でも今晩は帰らなけりゃいけないと仰言るんです。私むっ[#「むっ」に傍点]として、じゃあ帰りますって立上ると、屹度私の顔色が変ってたのかも知れませんわ、慌ててお引止め
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