かったと云って、少し疑っていらっしゃるようですけれど……そのためかも知れませんわ、私に過去のことをいろいろお聞きなすった。のは。男には女の心なんか分らないでしょうかしら。私がそれまで隠してたのは、事を荒立てたり松本さんに心配さしたりしたくないというだけで、外に訳は何もないんですの。でもやっぱり駄目でしたわ。一昨日《おととい》の晩は愈々困ってしまいました。夜の二時頃までお酒を召上っていらしたが、餉台の上の小皿を一枚ふいに取上げて、いきなり側の鉄の火鉢に投げつけて、粉微塵に壊しておしまいなすったんです。何でも、差された杯の酒を私が飲まないとか何とか、そんな風なことだったんです。でも私にはその乱暴が、全く不意だったものですから、すっかりまごついたせいか、自分でもよく分りませんが、急に変な気持になって、その杯の酒をぐっと飲んでしまいましたの。後ではっとしましたが、もう追っつきません。河野さんは恐い眼付で私の方をじろりと見て、うむ、お前が皿一枚に一杯ずつ飲むなら、夜明けまでに何枚でも壊してやると、こうなんでしょう。そうなると私も意地っ張りで、もう一言も口を利かないで、室の隅にじっと坐っていました。それからまた皿を一二枚お壊しなすって、暫くすると、畳の上にごろりと寝転んでいらしたが、私が気がついてみると、少し鼾をかいて眠っていらっしゃるんでしょう。私ほんとにどうしたらいいかと思いましたわ。しまいには腹を据えて、夜着を上からそっとかけてあげて、私は一番遠い隅っこへ火鉢を持っていって、それによりかかりながら朝まで坐り通しに坐っていました。その間の恐ろしいようななさけないような気持ったら、今考えてもぞっとしますわ。そして朝になってから私は、女中達の手前今起きたような風をして、顔を洗ったり庭に出てみたりしました。河野さんは平気でしゃあしゃあとしていらして、女中に小言を云いながら室を片付けさして、それから私に向っては、人の居ない所で、昨晩夜着をかけてくれた親切は忘れないって……。それを聞くと、私は頭から水でも浴びたように、ぞーっと身体が竦んでしまいました。どうしてそんなに恐ろしかったのか、自分でもいくら考えても分りませんが、ほんとに恐ろしくてじっとしていられなかったんですの。そしてその日の午後に、私は身体一つで松本さんの下宿へ飛んでいきました。松本さんは私がやって行くと、ただ遊びに来たも
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