た。で彼は愈々となった或る日、二百枚に近い答案を一日のうちに見てしまわなければならなかった。今日は誰が来ても不在だ、とそう家の人に頼んだ。
 七月の中ばのことで、晴れやかな日の光が縁先に落ちていた。その光の中に、赤い蟻が二三匹這い廻っていた。彼はそれにふと眼を止めて、蠅を叩き落してきて、蟻にやった。蟻は自分の身体の何十倍も大きい蠅を、三足四足引きずったが、引ききれなくなると、一寸その側を離れ、またすぐに戻ってきて、暫く嗅廻る風をして、こんどは一散に遠くへ走っていった。やがて、一群の蟻が、大きいのを所々に交えて、蠅の方へやって来て、まわりにたかるが早いか、ぐいぐい引張っていった。
 彼は立上って、更に幾匹もの蠅を叩き落してきて、蟻にやった。蟻の数は益々ふえてきた。一つの穴だけでなく、方々の穴から出て来た。そこらが真赤になるほどだった。小蟻が主として運搬にかかった。大蟻はそれを指揮するかのように、或はもっと餌物を探すかのように、あたりを駆け廻った。右と左とに引張り合ってるのがあると、大蟻が一寸加勢して、すぐに味方の方へ勝目を与えた。
 蠅は次から次へと引張ってゆかれた。しまいに彼は、半ば生
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