時間ですよと促すことがあった。すると彼は夢想のさなかからひょいと立上って、黙って先に出ていって、振向きもしないでとっとっと歩き去ったそうである。
 その他、まだ私の知らないいろんなことがあったとしても、彼の結婚決心の動機なるものは、どうも不可解だった。それまで大して人の口にも上らなかったほど、二人の間は淡いものだったらしい。それが、突然の指輪となり、突然の求婚となったのだった。
 結果は簡単に述べておこう。私は学校の人達に逢って、どうしても長谷部が職に留ることは出来なくなってるのを知った。そして、長谷部の未来のことや現在の貧しい生活のことなどを考えて、ただ嘆息するの外はなかった。
 幸にも事件はうまく片付いた。彼女の家は、ひどく零落はしていたが、血統やなんかは正しいらしかった。彼女も彼女の一家も結婚を承諾した。長谷部の母も結婚を承知した。そして長谷部はその後、或る製菓会社にはいった。製菓会社とは面白いが、更に面白いことには、其後学校で女給仕を廃して男にしたということを聞いた時、長谷部は飛び上って愉快がったのである。
「学校に女の給仕を置くなんて、初めから間違っていたんだ。」
 私は返辞
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