もし事情が一寸異っていたら、或は重大な犯罪をも最も自然に行ったかも知れない、と思わせるようなものが彼のうちにあった。
「もしそれを受取らなければ、殺されるかも知れないと……そんな気がしましたので……。」
 長谷部からなぜ指輪を受取ったかと聞かれた時、彼女はそう答えたそうだった。
 彼女というのは、彼が英語の教師をしてるその小さな私立大学の、教員室の給仕だった。
 一口に云えば、事件は簡単だった。彼が勤めてる私立大学の教員室に、二人の女給仕がいた。一人は髪の毛の縮れた顔のいかつい二十二三歳の女で、一人はまだ十六七の小娘だった、が髪の濃い目鼻立の整った、一寸小綺麗なそして無邪気な様子だった。その若い女給仕へ、彼は或る時青い宝石入りの金指輪を買ってきて、無理に受取らせてしまったのである。普通なら何でもないことなんだが、学校内の出来事なだけに、重大な問題となった。
 その日の午後四時半頃、他の室で事務を執っていた学生監が、ふと教員室にはいっていった。みると、室の隅で、若い方の女給仕がしくしく泣いていて、それを年上の女給仕が慰めていた。外に誰もいなかった。学生監は不思議に思って、いろいろ訳を尋ね
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