が庭の中で夢中に土いじりをしている、病中の母親が寝ながらその方を眺めている、それが彼等二人にとっては何であるかを、私は初めて瞥見したような気がして、先刻の自分のおせっかいを苦々しく思い出した。
然し実は長谷部にとっては、母親のことなんかはどうでもよかったのかも知れない。他の場合には、全く母親のことなんか頭にないらしく、自分の出来心に夢中になっていた。
彼は何かしら一つのことに耽らずにはいられないらしかった。私が彼を知ってからも、彼は撞球に耽ったし、碁に耽ったし、テニスに耽った。郊外のテニスコートに、毎日のように通ったことがあった。そのための服装を拵えたり、ラケットを三本も買い込んだりした。そしてそういう金は、みな母親の乏しい小遣から融通された。彼は月給といっても僅かしか貰ってはいなかったし、財産があるわけでもなかった。それで一家の生活は、亡父の功労で政府から母親が貰ってる金で――それも僅少なものだったが――重に支えられていた。いつも貧乏だった。
彼が撞球に耽った頃は、最も母親は困難したらしかった。彼はどうしても、毎晩撞球場へ行かないでは落付けなかった。その上、行けば帰りは十二時過ぎることが多かった。母親は起きて待っていた。そのことで或る時二人は喧嘩をした。
「表の締りをしないで寝るのが、いくら不用心だからって、起きて待っていられると、落ちついて球も撞けないじゃありませんか。お母さんがいつまでも起きて待ってるというなら、僕だって意地です、いつまでも帰って来やしませんよ、夜が明けるまで帰って来ませんから……。」
そんなことがあって、それから後は、母親は先に寝てしまうことになった。表門に鍵をかって、中の格子と戸だけを引寄せておいた。彼はその表門を乗り起して[#「乗り起して」はママ]はいって来るのだ。
そして彼はいつも、睡眠不足の蒼黒い顔色をしていた。
ただ、彼のそうした耽溺は、時々対象が変っていった。碁に夢中になって、碁会所に入りびたってるかと思うと、何かのきっかけで行かなくなってしまった。そして友人と二人で、碁会所の前なんかを通りかかると、そちらをじろりと見やりながら、さも憤慨してるような調子で云い出した。
「碁会所に大勢人が居並んでるところを見ると、僕は変に憂欝になってくる。狭苦しいところに、何人もずらりと向き合って一日中坐り通して、白と黒との小さな石を掴んで、首をひねって考え込んでいて、あれで何が面白いのかな。亡国の民という感じだね。もしくは、世紀末の遊民……というにも余りに気が利かなさすぎる。全く亡国の遊民だね。日本にもあんな連中がいると思うと、不思議な気がするよ。」
それが、冗談ではなくて、至極真面目に云ってるのだった。
「だって君も、以前は……。」
「毎日のように通ったさ、だが、面白くないからぴったり止しちゃったじゃないか。」
そして彼は腹立たしそうに口を噤んだ。
そういうことは、まだ罪のない方だったが……。
或る時彼は、画集を集めることに心を向けだした。古本屋をあさり歩いては、面白い画集を買い求めた。然し、乏しい彼の財布では、それは容易なことではなかった。極端に小遣を倹約しても、月に三四冊買えるのが漸くのことだった。そして、金がないところへ面白い画集が見付かると、着物を質屋へ持ってゆくことさえあった。
そのうちに、やがて彼はまた画集にも興味を失ってしまった。興味がなくなるとさっぱりしたもので、懐中の淋しい折なんか、折角手に入れた画集を持ち出して、古本屋へ売り払うのだった。
「ひどい奴等だ、買った時の半分値にしか引取ろうとしない。」
そう云って憤慨しながらも、彼はその半分値で払い渡していた。
例を挙ぐれば、まだいくらでもあるが、兎に角長谷部はそういう風に、転々と興味を移していった。そして一度一つのものに興味を持ち出すと、暫くの間はそれにすっかり溺れてしまうのだった。何故にそうなるのかは、誰にも分らなかった。その上自分の職務には決して興味を持ったことがなく、会社員としてもまたは学校教師としても、一番の不忠実な懶け者であったし、それかって、何か他にまとまった勉強をするのでもなかったし、云わば、精神的にも物質的にも真面目な生活から離れた、第二義的な娯楽にばかり耽って、時間を空費してるに過ぎなかった。
「あれで、女道楽でも初めたら困るね。」と友人達は云い合った。
が幸にも、長谷部はその方へは踏み出さなかった。独身者としては品行は上等の方だった。
彼は人の肉体について、妙な見方をすることがあった。
或る晩、彼は一人の友人と往来で出逢った。友人は手拭と石鹸箱とをぶら下げて、銭湯へ行くところだった。
「一寸球を撞こうじゃないか。お湯はその後にし給いよ。」
彼はその頃撞球に耽っていた。で友人は、つかまっ
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