んできた。彼から愛の心を寄せられてるということが、はっきり分ってくるに従って、若い私の心は軽い矜り[#「矜り」は底本では「衿り」]をさえ感ずることがあった。頭の奥には一種の慴えが残っていながら、二度まで見た同じような幻を、いつとはなしに忘れがちであった。ああ、媚びに脆い処女の心よ! 私はうかうかとした気持ちで、お寺の前を通って憚らなかった。
 彼と逢うのは、晴れた日の朝に限っていたが、それでも一週に一度か十日に一度くらいは、学校の帰りに顔を合せることがあった。彼は白い平常着のまま、御門の外に出て、通りをぶらぶら歩いていた。其処はいつも非常に人通りが少なかったにも拘らず、私は彼とすれ違っても別に恐れないほどになっていた。私のうちには、それほど高慢な心が芽を出していたのである。
 十月の末、私はお友達から美事な菊の花を貰って、いつもより少し遅くお寺の前を通りかかった。彼が表に立っていた。私は気にも止めなかった。私を見て少し歩き出した彼の側を、私は平気で通りぬけようとした。すると、右手に持っていた菊の花に後ろから何かが触って、花弁が少し散り落ちた。
「あ、済みません。」
 そういう呟くような
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