んできた。彼から愛の心を寄せられてるということが、はっきり分ってくるに従って、若い私の心は軽い矜り[#「矜り」は底本では「衿り」]をさえ感ずることがあった。頭の奥には一種の慴えが残っていながら、二度まで見た同じような幻を、いつとはなしに忘れがちであった。ああ、媚びに脆い処女の心よ! 私はうかうかとした気持ちで、お寺の前を通って憚らなかった。
 彼と逢うのは、晴れた日の朝に限っていたが、それでも一週に一度か十日に一度くらいは、学校の帰りに顔を合せることがあった。彼は白い平常着のまま、御門の外に出て、通りをぶらぶら歩いていた。其処はいつも非常に人通りが少なかったにも拘らず、私は彼とすれ違っても別に恐れないほどになっていた。私のうちには、それほど高慢な心が芽を出していたのである。
 十月の末、私はお友達から美事な菊の花を貰って、いつもより少し遅くお寺の前を通りかかった。彼が表に立っていた。私は気にも止めなかった。私を見て少し歩き出した彼の側を、私は平気で通りぬけようとした。すると、右手に持っていた菊の花に後ろから何かが触って、花弁が少し散り落ちた。
「あ、済みません。」
 そういう呟くような声が響いた。顧みると、彼は妙に慌てたような様子で、すたすたと御門の中にはいっていった。私は笑い出したくなるのをじっと我慢した。それから次に、俄に思い当ることがあって立ち止った。もしや、もしや手紙でも袂に入れられたのではないかしら……と私は思ったのである。
 私は両の袂を探ってみた。何もはいっていなかった。身体中検めてみた。何処にも変った点はなかった……ではやっぱり単なる偶然だったのだろうか? そう思う外はなかったけれど、そうだとはっきり肯定することの出来ないようなものが、私の心の中に在った。私の疑懼の念はまた高まってきた。
 私はその頃、眠れないことがよくあった。夜中にふと眼を覚して、夜明け近くまで夢現の境に彷徨することがあった。そういう時、よく気味悪い夢を見た。夢の中で彼と追っかけっこをすることもあった。……然しそれらの事は、夜が明けると共にさっぱり拭い去られて、私は秋晴れの外光の中に、清々しい自分を見出すのであった。それなのに意外にも、ああいうことが俄に起ったのである。
 十一月十八日、その日私は学校の帰りに、お寺の前でまた彼と出逢った。彼は御門の柱によりかかって、何かしきりに考え込んでいるらしく、私が通りかかっても、胸に垂れた頭を上げなかった。私はすたすたとその前を通り過ぎた。そして二三十歩行った時、後ろから彼がついてくるのを感じた。前に見た二度の幻と全く同じだった。が私はその時、不思議にも別段恐ろしいと思う念は起らなかった。首垂れながら後をつけてくる彼の姿が――私の心に映ってる彼の姿が、一寸可笑しく思われた。私は素知らぬ風を装って、心では彼の姿を見守りながら、普通の足取りで家へ帰っていった。私の家の門には観音開きの扉がついていて、玄関と門との間が砂利を敷いた狭い前庭になっていた。門の扉は昼間はいつも開いたままだった。
 私は彼を後ろについて来させながら、家の前まで来ると、つと身を飜して門の中にはいった。それから玄関で靴をぬいで上ろうとすると、彼もやはり門の中へすうっとはいって来たのである。本当にすうっとであった。砂利の上なのに足音もしなかった。私は急に震え上った。そして玄関につっ立って、初めて後ろをふり返ってみた。すぐ眼の前に、玄関の外に、彼はじっと立っている。私は余りのことに前後を忘れた。いきなり義姉さんの所へ駆け込んだ。そして叫び立てた。
「お姉さん、早く、早く……玄関にお坊さんが私を追っかけて来ています。行って下さい。早く行って…上って来るかも知れません。」
 義姉さんは私の様子に喫驚して、何も聞き糺さないうちに、玄関へ出て行かれた。私は石のように堅くなってじっと耳を澄した。何にも聞えなかった。やがて義姉さんは一人で戻ってこられた。
「どうしたんですか。誰も来てはいませんよ。」と義姉さんは云われた。
「いいえ来ています。お坊さんが私を追っかけて来ています。」と私はなお云い張った。
 女中と婆やも其処へ出て来た。私達は四人で、一緒に玄関へ行ってみた。誰も居なかった。門の外へ出てみた。通りにはお坊さんらしい姿は見えなかった。
 然し、私は現に彼の姿を玄関で見たのだった!
 私は義姉さんに尋ねられて、初めからのことを、去年からのことを、すっかりうち明けた。話の半ばに兄さんも帰って来られた。義姉さんはその日のことを手短かに話された。私は初めからのことをまたくり返した。兄さんは黙って聞いていられたが、私が話し終るのを待って、こう仰言った。
「それはありそうなことだ。……もっと早くうち明ければいいのに、隠してるからいけないんだ。」
 そして結局
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