々頼まれた捜索さえ、何の結果も齎さなかった。それでも私は、あれから後、出来るだけお寺の前を通らないことにしていた。通るのは恐ろしかった。彼をなつかしみながらも、云い知れぬ懸念に脅かされた。
 そして更に、私の前には、約束の時日が鉄の扉のように聳えていたのである。三月の末に私は女学校を卒業した。そして一先ず故郷に身を置くこととなった。出発前に私は兄に連れられて、和尚さんへ暇乞いに行った。
 その時私は初めて、「猥リニ出入ヲ禁ズ」という札の掛ってるお寺の門を、兄さんと一緒にくぐったのである。お寺の庭は思ったより狭かった。中にはいってみると、そう綺麗な閑寂な庭でもなかった。大きな石碑はこのお寺の最初の和尚さんの記念碑であった。その碑につき当って左に折れると、すぐに本堂があった。
 私達は庫裡に案内された。和尚さんはあれ以来、月に一度位は兄と往来していられたので、私はよく知っていたが、その日は何だか妙に距てがあるような気がした。和尚さんは珠数をつまぐりながら、種々な話の間に、こんなことを云われた。
「これから良縁を求めてお嫁入りなさるが宜しいですな。余り一人で居られると、またとんだ者に見込まれますよ、ははは。」
 然し私は否々と心の中で答えた。「今年の暮だ!」そういう思いが私の心を閉していた。それはもはや運命といったような形を取って、私の未来を塞いでいた。私は彼がまた私達の前に現われて来ようとは少しも信じてはいなかった。けれども、「今年の暮」は運命づけられた災厄のように感じられた。
「坊さんに見込まれたとは縁起がいい、お前は長生きするよ。」と兄から揶揄されても、私は黙って唇を噛んだ。
 五月の半ばに私は故郷へ帰った。
 学校から解放せられて自由な天地へ出た歓びと一種の愁い、また父母の膝下に長く甘えられる楽しさ、それらを私も感じないではなかったが、然しともすると、私の心は黒い影に鎖されがちであった。
 とは云え……ああ、時《タイム》の欺瞞者よ! 活花や琴のお稽古に通い、幼い思い出に満ちた故郷に安らかな日を送っていると、私の心も自然と「彼」から遠のいていった。「今年の暮」という脅威をも忘れがちであった。
 十一月になって、私は肺炎に罹った。四十度に近い熱が往来して、三四日は夢現のうちに過した。その夢心地の中で、私は彼の姿をまざまざと見た。いつもの白い着物を着て、ぼんやりつっ立っ
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