よろしゅうございますか。」
「ああ、いいよ。」
 さよ子はノートを持ってはいって来る。
「ここのところが、少し分らないんですけれど……。」
「まだ書いてるのかい。明日でいいよ。」
「でも、明日になって、そんなものだめだから、もうやめなさい、なんて、先生に言われますと、困りますもの。」
「大丈夫、気紛れは起さない。だが、今晩、もっと続けたければ、それでもいいよ。」
 彼女が分らないというのは、ノートの中に待合の女将が出てくるところだ。芸者をダンサーに変えたんだから、女将はどうしたらよいかというのである。そんなら、女将は、ダンスホールのマネージャーにでもしたらよかろうし、そのマネージャーには、彼女が識ってる出版社の編輯長でもかりてくるんだなと、おれはいい加減に助言してやった。その言葉を一つ一つ、彼女は噛みしめるように頷いている。憐れな奴だ。
 ふと、憐愍の情がおれの胸に萠してくる。
「何事も勉強だよ。天才は忍耐だと言うが、忍耐して努力すること、つまり努力し得る能力が、即ち天才なんだ。君も勉強してごらん。」
 彼女は眼をぱちくりさしておれの顔を見た。浅黒い皮膚で、小鼻がしぼみ、耳のわきに薄い
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