他の場合よりも罪が重いものでしょうか。」
「さあ、僕は専門家でないから、罪の軽重は分りませんが、そういう殺人でもやはり、立派な殺人には相違ありませんね。」
「それでも、金を盗むためとか、何かそんな風な人殺しよりは、まだたちのいい人殺しじゃありませんでしょうか。」
「たちがいい……とも云えるかも知れませんが、或はまた、一層たちが悪いとも云えるかも知れませんね。なぜなら、単なる興味や気分のために人殺しをするような奴は、動物に近く人間に遠いとも云って差支えないほど、極端に残忍な性格の者に相違ないからです。それに第一、殺人そのものが罪悪ですから、金銭のためであろうと、興味のためであろうと、そんなことは余り問題にはならないでしょう。興味のために行われる事柄で、立派に罪悪となるのもありますからね。一例を拳ぐれば、強姦なんかは、何のために行われると君は思いますか。」
「それは無論情慾のためでしょう。」
「そうです。所がその情慾というものが、興味というものとどれだけの差がありますか。比較的弱い情慾は単なる興味と同じものです。ただ人間の性質上、殺人は多く金銭や嫉妬や怨恨から行われ、強姦は多く情慾や興味や一時の気分から行われるだけで、そしてどちらも、立派に罪悪を構成するじゃないですか。動機よりも行為の性質が根本の問題でしょう。」
「そうですかね。では人殺しはそれとしまして、例えば、或る気持から他人の品物を毀すとしましたら、それでもやはり重い罪になりますでしょうか。」
「ええ、立派な器物毀損罪ですね。一寸考えると、悪戯《いたずら》に毀してやれというくらいな気持で、他人の器物を毀すようなことはよくありますが、器物と云って軽蔑するのが間違いです。僕一個の考えですが、世の中に凡そ一定の形を具えてるものはみな尊敬すべきです。生命のあるものは勿論ですが、無生の器具でも、それにはみな、それを拵らえ上げた人間の労力が籠っているものです。例えて云えば、貨幣は単なる紙や金属ではなくて、人の労力を具体化したものであると同じように、器物もみな、それを拵らえ上げた人間の労力を具体化してるものです。だから器物を毀すということは、人間の労力を毀すことで、本当の意味から云えば、可なり重い罪悪になるのが当然です。」
「けれどそれを拵らえた人は、もうそれだけの代価を得てるじゃありませんか。」
「それは得ています。その代り、それを買い取った人は、それだけの金を、云いかえれば、それだけの労力を、支払ってるじゃないですか。器物は何処へいっても、その所有者の労力を具体的に示しているものです。」
「そういうことになりますと、世の中のものは何一つ、どんな不用なものでも、少しも毀してはいけないことになりますね。」
「まあそうです。自然と毀れるものは仕方ないが、進んで毀すということは、何についても罪悪です。毀すよりは打捨ててしまう方が本当です。極端に云えば、髯を剃ることだって一の罪悪になるかも知れません。」
「それでもあなたは、二三日おきには髯を剃っていられるじゃありませんか。なぜ長くお伸《のば》しなさらないのですか。」
「まだなかなかそこまでの修養は出来ませんね。その代り、僕はこの通り髪を長くもじゃもじゃに伸して、なるべく刈らないようにしています。それに、或る程度までの罪悪は生きる上に仕方ありません。第一物を食うということが罪悪ですからね。まあ、自分のものは自分の勝手に処置して、その代り他人のものには指一本触れない、というくらいの所で妥協するより外はないでしょう。」
「それなら、他人のものに指を触れることが、生きる上に必要だったら、どうでしょう。」
「そんな必要があるものですか。」
「いえ時によるとあるかも知れません。そうしなければどうしても生きてゆけない、といったような気持も……。」
「それは必要な気持ではなくて、贅沢な気持です。贅沢から世の中は面倒くさくなるんです。贅沢心さえなければ、人間は安んじて生きてゆけるものです。」
「そうでしょうかしら?」
「そうですとも!」
 そこで私達の話は、その問題から離れてしまったが、私の心はいつまでもその問題に絡みついていた。この大学生はいやに理屈だけは達者だが、実際のことは何にも分らないのだと、私は強いて考えようとしたし、また確かにそうだと感じもしたが、それでも彼の言葉のうちで、私の心を打つものが残っていた。私は贅沢な苦しみをしてるのではあるまいか、贅沢な興味から硝子店へ石を投ったのではあるまいか、そんなことが疑われだしてきた。否そうではない、と心でも感じ頭でも肯定してみたが、何だかじっと落付いていられなかった。その上、自分は警察の手で追跡されてはしないかしらという、馬鹿げたぼんやりした不安が残っていた。そして凡てのことがごったになって、私をまたある硝子
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