悪夢
豊島与志雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)算盤《そろばん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)小説2[#「2」はローマ数字、1−13−22]
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私は時々、変梃な気持になることがある。脾肉の歎に堪えないと云ったような、むずむずした凶悪な風が、心の底から吹き起ってくることがある。先ず第一に、或る漠然とした息苦しさを覚える。何もかもつまらなくなる。会社の下っ端に雇われて、毎日午前九時から、午後四時まで、時には六時過ぎまで、無意味な数字を、算盤《そろばん》でひねくりまわしたり、帳簿に記入したり、そしてその間には、自分の用でもない電話をかけさせたり、ぺこぺこお辞儀をしたり、まるで機械のようになって働いて、頭と身体とを擦りへらしてしまい、そして満員の電車でもまれて、下宿に帰って、飯を食い湯にでもはいると、もう何をする気力もなく、冷たい煎餅布団にくるまって、ぼんやり寝てしまうの外はない。而もそういう生活から得らるる金と云ったら、僅かに六十円しかないので、日曜日がまわってきても、愉快な気晴しをする余裕はとてもなく、寝坊と夢想と散歩と活動写真くらいで、一日ぐずぐずに送ってしまう。一体何のために自分は生きてるのか? それを思うと、もう何もかも、自分自身も世の中も、つくづく嫌になってくる。そして一番いけないのは、こういう生活が、毎日同じように、際限もなく、末の見込や希望が一つもなく、ただだらしなく繰返されることである。そんなことを考えまわすと、息が苦しくなってきて、今にも窒息しそうな気持さえする。このままで年を取っていったらどうなるのか? 自分の若い生命はどうなるのか? せめて、大空の下で大地の上で、大きく息をでもつけたら……。然し凡てが狭苦しくて惨めである。風通しも日当りも悪い三畳の室、それから外に出ても、軒並に切取られた狭い空、薄濁りのした空気、その空気を通してくる蒼ざめた日の光、そしていつも、満員の電車、人の群、それからまた、緑の木の葉一つ見えない、地下牢みたいな頑丈な檻――数字ばかりが積み重ってる会社の室。凡てのものが、私の精神をばかりでなく、私のこの肉体をも、蒼白く萎びさしてしまう。ああせめて、力一杯にぶつかってゆけるものでも
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