」
「へえー……。」
「今ね、家をもってるのよ。」
笑いかけた眼付へ、とたんにぶっつけられたその言葉が、低く、説きさとすような調子に響いたので、持ってゆきどころのない気持から、ぼんやりと眼と口とを打開いた。と、彼女はくしゃくしゃな顰め顔をした。目玉を寄せ、眉根を寄せ、頬辺と口許とを歪めて、怒ってるのか笑ってるのか分らない、痙攣的な顰め顔だった。
「それは……。」
お目出度い……という言葉が口から出なくて、変にこじれてくると、やがて、彼女の方がじれ出したらしく、足をばたりばたりやり初めた。
「お目出度いね。」
漸くいってしまって、ほっとしたはずみに、ふと気付いたのだが、室の中の注意がこちらに向いていた。
一体、撞球場の中の空気というものは変梃だ。凡ての中心が球にある。中にいる者は固より、飛びこんでいったばかりの者まで、意識がみな球の方へ吸い寄せられる。親しい顔がずらりと並んでいても、ふと眼の向いたものと機械的な会釈が交わされるだけで、みな全くの他人で土偶《でく》に等しく、球だけが生々と活躍して、あらゆるものの中心となる。それが今、どうしたことか、皆の注意が球を外れて、僕の方へ向い
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