二つ離して敷いてあった。俺たちはまたそこで眠った。
へんに騒々しいあたりの空気に、俺は眼をさました。気持ちの立ち直りから見て、だいぶ眠ったようだ。建て付けのわるい雨戸の隙間から、もう明るい光りがさしていた。
俺は起き上った。「お嬢さん」はまだ寝ている。布団を耳のあたりまでかぶって、向うむきに、すやすや眠っているらしい。俺の感じからすれば、あの帳場でも、またこの室でも、俺と殆んど同様に早く眠りこんだ。而も、見ず識らずの四十男の俺のすぐそばで。図々しいのであろうか。信頼しきってるのであろうか。よくは見なかったが、まだ二十歳前の年頃のようで、銘仙らしい着物やモンペは、縞柄はじみだが清楚な感じで、人造革の小型なボストンバッグを一つさげていた。
人に警戒心を起させるような何物もないので、却って逆に、ふっと、俺の心に警戒の念が湧いた。こんな娘にこそ油断はならないのだ。そう思うことがまた、一方では恥しく、むりにそれを克服しようとした。そして俺は上衣をぬぎすて、洗面具を持って、廊下に出た。
廊下には、あちこちに男女の姿が見えた。男はジャンパーもしくはジャケツにズボン、女はスエータにズボンもしくはモンペの、体躯逞ましい若者が多い。一見してそれと分るカツギヤたちだ。――その宿屋は、カツギヤ専門のものだった。外の街路の、夜半すぎの明るさや賑かさも、彼等専門のものだったであろうか。
廊下のつき当りに、広い板の間があって、洗面所となっている。俺はそこで歯ブラシを使いながら、同室の娘に対する警戒の念がまた湧いた。そこそこに顔を洗って、室に戻ってみると、娘はまだ眠っている。
なにか忌々しい気持ちで、俺は上衣やズボンの埃を荒々しくはらった。それから煙草を吸おうとすると、パイプがつまっているのだ。廊下に出て、女中を呼びとめて、それからヘヤーピンの一件だ。
かくして、よく通ったパイプで、ピースを吸っているうちに、俺は妙なことを発見した。
いったい、シガレットにパイプを使用する者は、あまり多くない。まあ、没落した若い貴族か、ハイカラぶったジャーナリストか気取りやの官僚か、そんなところだろう。それとても、ぴったり身についてはいない。シガレット・パイプが身につくのは、特殊の人柄に限る。殊に象牙のパイプはそうだ。けれども、その象牙のパイプの、太い新らしいのが、しっくり身について、少しもおかしくない者がある。ヤミヤだ。ヤミヤのそれに比ぶれば、俺のパイプなど、象牙ではあるが至って小型で、古くて黄色い艶が出てる代りに、吸口は歯で磨滅している。それでもまあ、ヤミヤ仲間には伍せないとしても、カツギヤの端っくれにははいり得ようか。
こんなことを俺に考えさしたのは、カツギヤの女の一人から、パイプを通すヘヤーピンを貰ったからであろうか。とにかく、それは、彼等仲間の仁義の一つに接したかのように、俺の心を朗かにし、そのカツギヤ宿に落着かせてくれた。
もう出かける客が多く、宿屋の中は次第にひっそりとなってくる。
俺は廊下に出て、また女中をつかまえた。
「姐さん、すまないが、酒を少々頼むよ。」
「お酒……あったかしら。」
「あるとも。分ってるよ。お客用のじゃない、内所で使うやつさ。肴はどうでもいいから、急いで頼むよ。」
「それじゃあ、少しね。それから、味噌汁も吸ったがいいよ。」
待つというほどもなく、いつのまにお燗をしたのか、女中はお盆をかかえて来た。大きな銚子二本、小鯵の干物数匹、たくあん。それと、普通の味噌椀の三杯ほどもはいりそうな大きな鉢に、味噌汁がたっぷりつけてある。
「あら、このお嬢さん、寝坊だね。」
女中は雨戸を半分ほど開け、俺の布団を片付けて、出て行った。
「お嬢さん」が起き上った。
俺はその方に、真正面に向くわけにもゆかず、尻を向けるわけにもゆかず、結局横向きに坐って、酒を飲みはじめた。
娘は洗面所に立ってゆき、戻ってくると、柱鏡を見ながら、髪をなでつけ頬をパフでたたき、布団をたたみ、雨戸をすっかり開き、お辞儀のようなまねをして言った。
「お早うございます。」
「お早う。」と俺もはじめて言葉をかけた。
娘はどう見てもカツギヤではなかった。背は低く、肥った丸っこい体で、顔も丸く、丸い眼をして、にこりともしないで、俺の方を見てるのだ。俺の方で少し極りわるくなって、照れかくしに言った。
「御飯は出来ないようですが、味噌汁でも吸いませんか。わりにうまいですよ。」
娘は頷いて、ボストンバッグの中をかきまわし、自分で立っていった。
やがて、女中が運んできたお盆には、味噌汁の大きな鉢と、たくあんと、小さな缶詰がのっていた。俺の方では、酒をも一本たのんだ。
娘は俺の方へ、缶詰をそっと差出した。
「これを、お酒の肴にあがって下さい。昨晩のお礼ですから……。」
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