妓が宴席に出かけてることが多かったせいもある。それよりも、この土地のラオチュウはたいてい即墨の地酒だが、彼女が特別に紹興の本場物の上等品を手に入れてくれたからである。それを錫の銚子に燗をして、彼女は隣室から持って来、十分間ばかり私の相手をし、そしてまた隣室に引っ込んでしまう。
 私は手酌で飲み、ぼんやり時間をすごし、酒がなくなれば彼女に声をかける。彼女は銚子を持って現われ、十分間ばかり相手をしてくれる。
 懇意になった、と言っても、ただそれだけのことである。彼女の名前も知らない、ということにしておこう。十年ほど前に彼女は良人と死に別れて、今のような稼業にはいったらしく、それ以外の経歴は何にも分らない、ということにしておこう。
 私が行くと、彼女は芍薬の花のような立ち姿でにこと笑ってくれる、それだけで充分だったのだ。十分間差し向いでいても、むつかしいことは言葉が互に通じないので、殆んど無言に等しかった。愛欲の問題など、彼女の方にもなかったし、私の方にもなかった。
 私にとっては寧ろ、彼女は愛欲からの護符だったのだ。青島から出発する前晩、私はまた彼女のところで酒を飲んだ。その時、彼女は覚束
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