。階を上るに随って、彼女たちの格式もよくなり、最上階のはもはや娼妓というよりも芸妓である。
その最上階の一房に、二人の芸妓がいた。まだ年は若いが、容姿といい芸といい、一流の売れっ妓で、料亭の宴席に出かけてることが多かった。この二人の身辺の世話をしてる阿媽がいた。阿媽といえば女中だが、一説では芸妓の養母だともいう。つまりは、日本の芸者屋のおかあさんに当るのであろう。
この阿媽さん、年齢は四十過ぎだが、まだみずみずしい美人だった。青い支那服を着、しなやかな黒髪を小さく束ね、纒足にちっちゃな沓をつっかけてる、古風な身なりだが、半月形の眉、澄みきった黒目、餅のような頬の肉付、小さな口のつややかな唇、すんなりした両手の指、微妙な曲線をゆるがせる腰……そのすぐれた容色は、如何なる名妓を持って来ても足許にも及ばない。
私はしばしば、彼女のところへ酒を飲みに行った。他の階のことは知らないが、その最上階では、客は芸妓を相手に、茶をすすり水瓜の種をかじりながら、ただ取り留めもない話で時間をつぶすのだった。
阿媽さんが客の前に出ることは殆んどなかった。然し、私はそこの阿媽さんと懇意になった。二人の芸
前へ
次へ
全8ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング