苦難と悲歎の底に沈み、もう生きるのもたくさんだとの思いをした人もあったろう。然し、かりに自分にとってはそうであっても、親にとっても、兄弟にとっても、妻子にとっても、そして隣人たちにとっても、そうであるとは誰が言いきれるか。もうたくさんなのは、戦争だけだ。平和でさえあれば……。ほっと一息ついて顧みると、戦争は悪夢のようなものだった。悪夢にうなされないためには、白日の光り、平和の光りだ。
ここに起った平和への呼び声は、自発的なものである。痛烈な体験から生じてきたものである。もとより、市長はじめ公共の識者たちの善意の誘掖もあったであろうが、元は市民の間から自然に起ったものと見るべきであろう。ヴォクス・ポプリ・ヴォクス・デイ……この市民の声は即ち神の声であった。そして今やヒロシマは平和記念都市として自己を建設しようとしている。構想は大きい。
戦争の脅威に対抗して、世界の良識ある人々の間には、周知の如く、平和擁護の声が起っている。その中にあって、ジョン・ハーシー氏の率直な記録「ヒロシマ」は、アメリカの良心に衝撃を与えた。オークランドには世界平和デー委員会が設けられ、次でニューヨークには、広島
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