と言う。
彼女等は、自分の立姿を鏡に写して見たことがあるであろうか。鏡で見るのは、恐らく、顔とか髪とか襟元とか、部分的なものばかりであろう。もし立姿全体を、鏡で見るとか、或るいは障子に写った影絵で見るならば、そのお化け然たる恰好に、自分でもぞっとすることだろう。知らぬが幸だ。
これは、然し、外観だけのことである。そのジャングルを押し分け、頭脳の内部にまでふみ込んでみるならば、そこも、恐らくはひどいジャングルであろう。情意の涸渇、志操の頽廃、傲慢な功利主義と享楽主義。毒気ばかりが立ちこめて、清純な花の咲く余地はあるまい。
例えて言おう。晩春初夏の後楽園野球場には、しばしば、可憐な紋白蝶が一匹或るいは二匹、ひらひらと飛んでいる。砂地の上や青い芝生の上を、地面低く飛んでいる。観客で埋まったスタンドで四方を囲まれ、走り廻る選手や飛び交うボールの間をぬって、無心そうにひらひらと飛んでいる。その小さな白い蝶はいったい、どこから来たのであろうか、どこへ行くつもりなのであろうか、夜はどこで眠るのであろうかと、一片の感傷を持てというのではないが、ボールの行方を見守る合間に、蝶の姿にも少しく眼をやる
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