の広範な散文詩に着手せしめ、それを最後までやりとげさしたところの、母線的観念の幾つかを、ここに披瀝《ひれき》してみたい。この散文詩は、実際的障害を少しも考慮せずして書かれたものであり、フランスの文学界に認められてるあらゆる慣例を断然破棄したものである。成功などは私にとってどうでもよいことだった。成功などは問題ではなかった。内心の命令に従うことが問題であった。
長い物語の中途に、ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]のための自分のノートの中に、私は一九〇八年十二月のつぎの文句を見出す。
「私は文学の作品を書くのではない。信仰の作品を書くのである。」
人は信ずる場合には、結果を懸念せずに行動する。勝利か敗北かは問うところでない。「なすべきことをなせ!」
私がジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]の中で負担した義務は、フランスにおける道徳的および社会的崩壊の時期にあって、灰の下に眠ってる魂の火を覚醒させることであった。そしてそのためにはまず、積もり重なってる灰と塵芥《じんかい》とを清掃することだった。空気と日光とを壟断《ろうだん》
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