証明される。もっとも顕著な事柄は、そしてこの作品をこしらえるおりの私の期待をはるかに越ゆることであるが、ジャン・クリストフはもはやいずれの国においても他国人ではないということである。あらゆる遠隔地方から、あらゆる異民族から、シナから、日本から、インドから、アメリカ諸国から、ヨーロッパのあらゆる民衆から、多くの人々が私のもとへ言いに来た。「ジャン・クリストフは私たちのものだ。彼は私のものだ。彼は私の兄弟だ。彼は私だ……。」
そしてそのことは、私の信念の真実だったことを、私の努力が目的に達したことを、私に証明してくれた。というのは、創作の頭初において、私はこう書いておいた(一八九三年十月)。
「人類の一致、それがいかなる多様な形態のもとに現われようとも、常にそれを示すこと。それこそ、科学のそれと同様に芸術の第一の目標でなければならない。それがジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]の目標である。」
ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]のために選まれた芸術的形式と文体とについて、多少の考慮を私は披瀝《ひれき》すべきであろう。なぜなら両者は、私がこの作品とその目標とについていだいていた意想に密接な関係を有するから。けれども私は、自分の美学的見解についての一般的論説の中で、いっそう長くそれを取り扱うつもりでいる。私の美学的見解は、現代フランス人の大多数のそれとはまったく異なる。
ただここでは、一言いっておけば足りるであろう。すなわち、ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]の文体は(それによって私の作品の全体は誤った批判を受けがちであるが、)「カイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ」叢書《そうしょ》刊行の初めのころ、私の全努力と戦友ペギーの全努力とを鼓舞してくれた主要観念によって、指導されたものである。その観念は、ゼラチン的な時代と環境とにたいする反動から、われわれが極端にそうであったとおりに、粗暴な雄々しいしかも清教徒的なもので、だいたいつぎのようなものであった。
「直截《ちょくせつ》に語れ。脂粉と嬌飾《きょうしょく》とをなくして語れ。理解されるように語れ。一群の精緻《せいち》な人々からではなく、多数の人々から、もっとも単純な人々から、もっとも微々たる人々から、理解されることだ。そしてあまりによく
前へ
次へ
全12ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング