はなかった。当時のイタリーでは音楽家は生活しがたかった。空気が制限されていた。音楽家の生活は圧迫されていた。劇場の工場はその油濃い灰と焼けるような煙とを、以前は全ヨーロッパを香らせる音楽の花を咲かしていたこの土地に、まき広げていた。怒号者の仲間に加入することを拒む者、製作所にはいることができないかあるいはそれを望まない者は、流刑やまたは窒息的生活に処せられていた。天才は少しも涸渇《こかつ》してはいなかったが、沈滞と破滅とに打ち任せられていた。クリストフが出会った若い音楽家のうちには、この民族の流麗な楽匠の魂と、過去の賢明簡素な芸術を貫いてる美の本能とが、心の中によみがえってる者も一人ならずあった。しかし彼らに注意してくれる者はなかった。彼らは演奏してもらうことも出版してもらうこともできなかった。純粋な交響曲《シンフォニー》にたいしてはなんらの同情も寄せられなかった。臙脂《えんじ》を顔に塗っていない音楽にたいしては少しも聴衆がなかった……。そこで彼らはただ自分のために歌っていたが、その落胆した声もついには消えていった。歌ったとて何になるか? 眠るべしだ……。クリストフは彼らを助けたくてた
前へ
次へ
全340ページ中73ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング