つけられたような気がした。
グラチアがそういう意見を与えたのは、おそらく不本意ながらであったろう。しかしクリストフはなにゆえに彼女の意見を求めたのか? 彼から一身上の決断を任せられたからには、彼の行動に責任を帯びてると彼女は考えた。たがいに思想を交換し合うことによって、彼女は彼の意志に多少感染していた。彼は彼女に活動の義務と美とを示していた。少なくとも彼女はその義務を友のために是認していた。そして友に義務を欠かせたくなかった。イタリーの土地の息吹《いぶ》きに含まれていて、なま温かい南東風[#「南東風」に傍点]の陰険な毒のように、人の血管の中にしみ込んで意志を眠らせる、この倦怠《けんたい》の力を、彼女は彼よりもよく知っていた。彼女はその凶悪な魅力を感じてしかも抵抗する元気さえなかったことも幾度であったろう。彼女の交際社会はみなその魂のマラリアに多少ともかかっていた。もっとも強い人々も幾人かかつてそれに害せられた。それはローマの青銅の牝狼《めすおおかみ》を腐蝕《ふしょく》していた。ローマは死の匂《にお》いをたてている。あまりに墳墓が多過ぎる。ローマで暮らすよりもローマを通り過ぎるほうが健
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