た。要するに、彼らが他国人の作品中に誠意をもって深く求めてるところのものは、彼らの国民的本能が見出したがってるものをばかりであった。往々にして彼らは、知らず知らず自分が插入《そうにゅう》したものをばかり取り上げていた。凡庸な批評家であり拙劣な心理家である彼らは、あまりに融通がきかなくて、真実にたいしてもっとも心を寄せてるときでさえも、自己と自己の熱情とでいっぱいになっていた。元来イタリーの理想主義はおのれを忘れることができない。北方の無我的な夢想に少しも興味を覚えない。自己に、自己の願望に、自己の民族的自負心に、すべてのものをもちきたして、それを変形させてしまう。意識的にもしくは無意識的に、常に第三ローマ[#「第三ローマ」に傍点]のために働いている。ただ数世紀の間、その実現のために大して骨折りはしなかったばかりである。実行に適してるそれらのみごとなイタリー人らは、ただ熱情によって行動するばかりで、すぐに行動に飽いてしまう。しかし熱情の風が吹くときには、彼らはいかなる他の民衆よりも高く吹き上げられる。その実例としては彼らの文芸復興[#「文芸復興」に傍点]を見るがよい。――そういう強風の一
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