はきわめて少なかった。それは眠ってる人々の静穏を乱すのだった。輝いた荒々しい光だった。その火をもってる人々――それはみな若い人々で(もっとも年上の者も三十五歳未満で、)気質や教育や意見や信念などをたがいに異にしてる、自由な知識人であった――それらの人々は、この新生の炎にたいする同じ崇拝のうちに結合していた。党派の看板や思想の体系などは、彼らにとっては問題とならなかった。肝要なのは「勇敢に思索する」ということだった。率直であり大胆であるということだった。そして彼らは己《おの》が民族の眠りを手荒く揺り動かしていた。勇士らによって死から呼び覚《さ》まされたイタリーの政治的復活のあとに、また最近の経済的復活のあとに、彼らはイタリーの思想を墓穴から取り出そうと企てていた。優良社会の怠惰な臆病《おくびょう》な無気力を、その精神的|卑怯《ひきょう》さと空疎な言辞とを、彼らはあたかも一つの侮辱ででもあるかのように苦しんでいた。祖国の魂の上に幾世紀となく積もり重なってる、美辞麗句と精神的隷属との霧の中に彼らの声は鳴り響いていた。容赦なき現実主義と一徹な公明さとを、彼らはそこに吹き込んでいた。溌溂《はつら
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