》を見せることもあった。彼女はその嬌態をみずからあざけってはいたが、強《し》いて捨て去ろうとはしなかった。事物にたいしてもまた自己にたいしても少しも逆らわなかった。きわめて温良でやや疲れた性質の中に、ごく穏やかな宿命観をもっていた。

 彼女は多くの訪問客を迎えていたし、客を選択することを――少なくとも表面上――あまりしなかった。しかし彼女の親しい人々は、たいてい同じ階級に属していて、同じ空気を呼吸し、同じ習慣にしつけられていたので、その社会はかなり同分子的な調和を形造っていて、クリストフがフランスで聞かされたものとはきわめて違っていた。その大部分は、外国人との結婚によって活気づけられてる、諸方の古いイタリー系統の者だった。彼らのうちには、表面的な超国境主義が支配していて、四つのおもな国語と西欧四大国民の智嚢《ちのう》とが安らかに混和していた。各民族がそれぞれ自分の割当を、ユダヤ人はその不安を、アングロ・サクソン人はその沈着を、そこにもち寄っていた。しかしすべては間もなくイタリーの坩堝《るつぼ》の中に溶かされていた。略奪者たる大貴族の跋扈《ばっこ》した幾世紀かが、一民族の中に、たとえば
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