がローマという名をもち出すのを、あまりにしばしば聞かされてる前衛の芸術家、それにふさわしい疑惑的敵意を彼はイタリーにたいして感じていた。そのうえ、南方の人々にたいして、あるいは少なくとも、北方人の眼に南方人の代表として映ずる、いつも饒舌《じょうぜつ》な大風呂敷《おおぶろしき》を広げる古来名高い典型にたいして、北方のあらゆる人々の心のうちに潜んでる、本能的な反感の古い根があるのだった。クリストフは考えただけでも、軽蔑《けいべつ》的に唇《くちびる》をとがらした……。音楽のない民衆とこの上知り合いになりたい気はさらになかった――(音楽のない民衆だと、彼はいつもの極端さで言っていた。「なぜなら、マンドリンをかき鳴らしたり大袈裟《おおげさ》な插楽劇《メロドラマ》を怒鳴ったりすることが、現代ヨーロッパの音楽のうちで、何ほどのものになるものか!」)とは言え、その国民にグラチアは属してるのだった。彼女とめぐりあうためになら、どこまでもまたどんな道を通ってでもクリストフはやって行ったであろう。彼女と落ち合うまでの間眼をつぶっておれば済むことである。

 眼をつぶることには彼は馴《な》れていた。多年の間彼
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