、彼は何かの方法を講じて熱烈に勉強した。時には、小男の彼の精力に感心した善良な人々の支持を得たが、またさらにしばしば、彼の困窮と才能とを利用せんとする人々の手にかかった。そして多くの苦しい経験を積み、虚弱な健康の残りを失っただけで、さほど悲観もしないで通りぬけてきた。古代言語にたいする特別な能力(古典崇拝の伝統が沁《し》み込んでる民族においては、それは人が思うほど異常なものではないが)のために彼は、ギリシャ研究家である一老牧師の同情と支持とを得た。彼はその研究をあまり進めるだけの隙《ひま》を得なかったが、それは彼のために精神の訓練となり文体の習得となった。民衆の泥《どろ》の中から出て来た彼の教育は、すべてその時々に独習されたものであり、非常な欠陥を示してはいたが、それでも彼は、中流の青年が十年間の大学教育によっても得られないほどの、言辞上の表現の才と思想による形式の駆使とを、得てきたのだった。彼はそれをオリヴィエのおかげだとしていた。他にも彼をもっと有効に助けてくれた者は幾人かいた。しかし彼の魂の闇夜の中に永遠の燈火を点じた火花は、オリヴィエから来たのだった。他の人々はただその燈火に油
前へ 次へ
全340ページ中121ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング