かせられるのです……。
彼はわずかな遺産を得ましたが、数か月のうちに早くもそれを使い果たしてしまいました。そして生活に困ってくると、こういう種類の人にありがちな罪深い正直さで、貧乏な娘を誘惑して結婚しました。彼女は音楽を愛してはしませんが、美しい声をもっていて音楽をやっていました。彼は彼女の声とチェロをひき覚えてる凡庸な才能とで生活しなければなりませんでした。もとより彼らはすぐにおたがいの平凡さを見てとって、たがいに我慢できなくなりました。女の児《こ》が一人生まれました。父親はその娘に幻をかけました。自分のなれなかったものに娘がなってくれるだろうと考えました。娘は母親に似ていました。一片の才能もないピアノひきになりました。彼女は父を敬慕していて、父の気に入るように仕事を励みました。彼らは幾年もの間温泉町の旅館を回り歩いて、金銭よりもむしろ多く恥辱を集めてきました。娘は病弱な上に過労のため死にました。細君は力を落として日に日にいらだたしくなりました。それは実に底知れぬ悲惨で、それから脱せられる望みもないし、とうてい実現できないとわかってる理想にたいする感情のために、いっそうひどくなされ
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