た。しかし父が存命してる間は、あえて自分の意志を表明しかねました。断然たる処置をとるまでにはまだ時を待たねばならないことを、彼はおそらく苦にはしなかったでしょう。将来自分のなすことやなし得ることなどをぼんやり空想して、一生を過ごしてしまうような者が世にはありますが、彼もその一人でした。さし当たり何にもしませんでした。新しいパリー生活のために惑わされ酔わされて、若い田舎者の乱暴さで、女と音楽との二つの情熱にふけりました。逸楽と音楽会とにのぼせ上がってしまいました。そして幾年も無駄《むだ》に送って、自分の音楽教育を完成するような手段をも講じませんでした。猜疑《さいぎ》的な高慢心と独立的な短気な悪い性質とのために、なんらの稽古をもなしつづけることができず、だれにも助言を求めることができませんでした。
父が死んだときに彼はテミスとユスティニアヌスとを共に追っ払ってしまいました。そして作曲し始めました。けれど必要な技能を修得するだけの元気はありませんでした。怠惰な彷徨《ほうこう》と快楽の趣味との根深い習慣のために、真面目《まじめ》な努力ができなくなっていたのです。物を感ずることはきわめて鋭敏で
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