とには、音楽にたいする熱情なんかはその地方では認められなかったようです。しかも少年の彼は、大伯父のような堅固な狂癖をもっていませんでした。彼は音楽狂の大伯父の労作を人に隠れては読みふけって、それが彼の不規則な音楽教育の根底となりました。彼は虚栄心が強く、父や世評の前におずおずしていましたので、成功しないかぎりは自分の野心をもらさないようにしました。フランスの多くの小中流人のうちには、気弱さのために、家の者たちの意志に反抗することができず、表面上それに服従して、自分のほんとうの生活のほうは、たえず人に隠れて営んでいるような者が、非常にたくさんありますが、善良な彼も家の者たちに圧迫されて、それと同じことをしました。自分の好む道へは進まないで、人から課せられた仕事へ趣味もないのにはいってゆきました。けれどもその方面では、成功することも華《はな》やかに失敗することもできませんでした。どうかこうか必要な試験にだけは及第しました。それによって彼が見出したおもな利益は、田舎の社会と父親との二重の監視からのがれたことでした。法律はつくづく嫌《いや》でしたから、それを自分の職業とはすまいと決心していまし
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