しかわかりません。彼の身内には音楽家は一人もいませんでした。ただ一人は大伯父《おおおじ》だけが例外でした。この大伯父は多少調子の違った人物で、田舎《いなか》の変人とも言うべき人でした。そういう変人たちは、往々|際《きわ》立った知力と天性とをもちながら、傲然《ごうぜん》と孤立してるうちに、狂的なくだらない事柄にそれを使ってしまうものです。ところでこの大伯父は、音楽に革命をきたすほどの新しい記号法を一つ――(それからなおも一つ)――発見したのでした。言葉と歌と伴奏とを同時にしるし得る速記法を見出したとまで自称していました。しかも自分では一度もそれを正確に読み返すことができなかったのです。家の者たちはこの好々爺《こうこうや》を馬鹿にしていましたが、それでもやはり自慢にしていました。「これは気違い爺《じい》さんだ、けれど、天才であるかもわかったものではない……」と皆は考えていたのです。――そしてたぶん彼から音楽癖がその甥《おい》孫に伝わったのでしょう。その町ではどういう音楽を聞くことができたでしょうか……。とは言え、悪い音楽もよい音楽と同じくらいに純潔な愛を人に起こさせるものです。
不幸なこ
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