れには焦慮も不安もない落ち着いた友情が現われていた。彼はそれを苦しみまたそれを喜んだ。それについて彼女をとがめることはみずから許せなかった。二人の愛情はあまりに近ごろのことだったし、最近結び直されたばかりのものだった。彼はそれを失いはすまいかと気づかっていた。それでも、彼女から来るつぎつぎの手紙は彼に安心を与えるような誠実な落ち着きを示していた。しかし彼女は彼とはずいぶん異なってるのだった……。
 二人は秋の末ごろローマで再会することにしていた。彼女に会うという考えがなかったならば、その旅はクリストフにとってあまり面白くなかったはずである。彼は長い間の孤独のためにすっかり出ぎらいになっていた。現今の人々が不安な閑散のあまりに好む無用な移転にたいして、彼はもう少しも興味を覚えなかった。精神の規則的な働きにとって有害な習慣の変化を恐れていた。そのうえ彼はイタリーに心ひかれなかった。彼がイタリーを知ってるのは「自然主義作曲家」らの卑しい音楽やウェルギリウスの故国が旅行中の文学者らにときおり感興を与えるテナーの小曲、などを通じてばかりだった。翰林院《アカデミー》式の旧慣を墨守してる愚劣な作家らがローマという名をもち出すのを、あまりにしばしば聞かされてる前衛の芸術家、それにふさわしい疑惑的敵意を彼はイタリーにたいして感じていた。そのうえ、南方の人々にたいして、あるいは少なくとも、北方人の眼に南方人の代表として映ずる、いつも饒舌《じょうぜつ》な大風呂敷《おおぶろしき》を広げる古来名高い典型にたいして、北方のあらゆる人々の心のうちに潜んでる、本能的な反感の古い根があるのだった。クリストフは考えただけでも、軽蔑《けいべつ》的に唇《くちびる》をとがらした……。音楽のない民衆とこの上知り合いになりたい気はさらになかった――(音楽のない民衆だと、彼はいつもの極端さで言っていた。「なぜなら、マンドリンをかき鳴らしたり大袈裟《おおげさ》な插楽劇《メロドラマ》を怒鳴ったりすることが、現代ヨーロッパの音楽のうちで、何ほどのものになるものか!」)とは言え、その国民にグラチアは属してるのだった。彼女とめぐりあうためになら、どこまでもまたどんな道を通ってでもクリストフはやって行ったであろう。彼女と落ち合うまでの間眼をつぶっておれば済むことである。

 眼をつぶることには彼は馴《な》れていた。多年の間彼
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