に出会わなかった。しかしこの町では万事が知られるではないか。特長ある顔つきの音楽家と黒服の若い女とが、飲食店で踊ったとすれば、人目をひいたに違いなかった。二人の噂《うわさ》はぱっと立った。そして何事もくり返されるとおりに、その噂も町まで伝わってきて、悪意の生じてる折り柄とて、それはアンナだと認められずにはいなかった。もちろんそれはまだ一つの嫌疑《けんぎ》にすぎなかった。しかし妙に人の心をひく嫌疑であって、アンナの女中自身の供給した情報がそれにつけ加えられた。一般の好奇心はもう眼を見張っていて、二人が危険に瀕《ひん》するのを待ち受け、眼に見えない無数の眼で二人を窺《うかが》っていた。黙々たる陰険なこの町は、獲物をねらってる猫《ねこ》のように二人をつけ回していた。
 本来から言えば、危険にもかかわらず、アンナはおそらく屈しなかったかもしれない。そういう卑劣な敵意の感情は、おそらく彼女を猛然と挑戦《ちょうせん》的になしたかもしれない。しかし彼女は自分のうちに、敵たるその社会のパリサイ人的精神をになっていた。教育は彼女の天性を撓《たわ》めていた。彼女は世論を横暴で愚劣だといくら批判しても甲斐《かい》がなかった。やはり世論を尊重していた。世論の判決を、それが自分に向かって下されるときでさえ承認していた。それが自分の本心と背馳《はいち》するならば、自分の本心のほうが誤りであるとしたかもしれない。彼女は町の人々を軽蔑《けいべつ》していた。しかも町の人々から軽蔑されることは堪えがたかった。
 そして、公衆の悪口にあふれ出る機会を与える時期が来かかっていた。謝肉祭《カルニヴァル》が近まりつつあった。

 この町では、謝肉祭は、この物語の起こってるころまでは、放縦|苛辣《からつ》な古い性質をなおもっていた――(その後になると非常に変わってはきたが。)理性の軛《くびき》に否応なしに縛りつけられてる人の精神を、勝手気ままに解き放すというのが、謝肉祭の起原であるから、その起原に忠実である謝肉祭は、理性の番人たる風俗や掟《おきて》が重々しく君臨してる時代や地方において、もっとも横暴をきわめるのであった。それでアンナの町は、そういう選まれたる土地の一つとなるのが当然だった。道徳上の厳格主義が人の身振りを麻痺《まひ》させ声をふさぐことが多ければ多いほど、謝肉祭の数日間、ますます身振りは大胆になり声
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