は、だれも自分の生活を隠しおおせることができない。それは不思議な事柄である。街路にはだれも諸君をながめてる者はいない。人家の戸も窓も閉め切ってある。しかし窓の隅《すみ》に多くの鏡がある。通り過ぎるときには、鎧戸《よろいど》の開け閉めされるきつい音が聞こえる。だれも諸君のことを気にしてはいず、諸君を見知ってる者もいないようである。しかし、自分の言葉や身振りが一つとして見落とされてはいないことに、やがて諸君は気づくだろう。諸君のなしたこと、言ったこと、見た物、食べた物、すべてが知られている。人々は諸君の考えたことまでも知っている、知っていると自惚《うぬぼ》れている。一般の隠密な監視が諸君を取り巻いている。召使、御用商人、親戚《しんせき》、友人、無関係者、見知らぬ通行人、などすべての者が、暗黙の間に一致して、偵察《ていさつ》に力を合わせている。しかもかかる本能的な偵察では、方々に散らばってる各要素が、不思議にも一つに集まってくるのである。人々はただに諸君の行為を観察してるばかりでなく、諸君の心をも探索している。この町においては、だれも自分の本心の秘密を守るだけの権利をもたない。しかも、他人の中をのぞき込み、その内部の思想を穿鑿《せんさく》し、もしそれが一般の意見に背馳《はいち》するようなものであるときには、その説明を求める、という権利を各人がもっている。集団の魂の眼に見えない専制主義が、各個人の上に重くのしかかっている。個人はその生涯《しょうがい》を通じて後見されてる子供のようなものである。彼のもの何一つ彼の所有ではない。彼は町に属してるのである。
アンナが日曜日に引きつづいて二度も教会堂に姿を見せなかったということは、嫌疑《けんぎ》をひき起こすに十分だった。普通のときにはだれも、彼女が礼拝に列してることを気にも止めていないようだった。彼女は一人離れて暮らしていて、町の人々は彼女の存在を忘れてるかのようだった。――ところが、彼女がやって来なかった初めの日曜日の晩には、彼女の欠席は方々に知れ渡って記憶の中にしるしとめられた。つぎの日曜日には、聖書の中や牧師の唇《くちびる》の上の神聖な言葉をたどってる、信仰深い眼の一つとして、その真面目《まじめ》な注意をそらしてるものはないらしかった。しかしどの眼もみな、アンナの席が空《あ》いてることを、はいって来るときに認め、出て行くとき
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