恐れはしない。――また他の人々は、理性の楽しみを、一|徹《てつ》な論理を、そこで満足さしていた。彼らは人間に奉仕しなくて、観念に奉仕していた。それはもっとも勇敢な人たちだった。自分の階級の必然的な終焉《しゅうえん》を理論から引き出すことに、高慢な享楽を覚えていた。重荷の下に圧倒されるよりも、自分の予言が事実に裏切られるのを見ることのほうが、彼らにとってはいっそう苦痛だった。彼らはその知的陶酔のなかで、外部の人々へ叫んでいた。「もっと強く、もっと強く打てよ。われわれから何物も残ってはいけない。」――彼らは暴力の理論家となっていた。
他人の暴力の理論家である。なぜならば、普通の例にもれず、それら暴虐な力の使徒たちはたいていいつも卓越した虚弱な人たちであった。そのうちには、彼らが破壊すべしと称してるその国家の役人が、しかも勤勉な真摯《しんし》な従順な役人が、一人ならずいたのである。彼らの理論上の暴力は、彼らの虚弱や彼らの怨恨《えんこん》や彼らの生活の圧搾などの反動だった。しかしまたことに、彼らの周囲に唸《うな》ってる暴風雨の前兆だった。理論家は気象学者に似ている。彼らが学術語で言うところのものは、将来の天候ではなくて、現在の天候である。彼らは風の方向を示す風見である。彼らは向きを変えるときには、自分が風の方向を変えさしたのだと思いがちである。
実は風の方向が変わっていた。
あらゆる観念は、民主国では早く磨滅《まめつ》する。その伝播《でんぱ》が早ければ早いほど磨滅も早い。フランスにおいていかに多くの共和主義者らが、五十年足らずのうちに、共和や一般投票や、その他熱狂して獲得された多くの自由に、飽き果ててしまったことだろう! 多数ということにたいする拝物教的崇拝のあとに、また、神聖なる大多数者を信じて人類の進歩をそこから期待する呑気《のんき》な楽天主義のあとに、今は暴力の精神が吹き荒れていた。みずからおのれを統御することにおける大多数者の無能力、金銭に左右される無節操、不甲斐《ふがい》ない無気力、あらゆる優秀にたいする卑しい怯懦《きょうだ》な反発、圧倒的な卑劣などは、反抗を惹起《じゃっき》せしめていた。元気|溌溂《はつらつ》たる少数者は――すべての少数者は――腕力に訴えていた。滑稽《こっけい》ではあるがしかも必然的な接近が、フランス行動派[#「フランス行動派」に傍点]の王
前へ
次へ
全184ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング