がら芝居をしていた。民衆運動は彼らにとっては成り上がる一方法だった。北欧の海賊らのように、彼らは上げ潮に乗じて船を陸の内部へ進めていた。潮が引く間に、大河口の奥深く進入して、征服した都市に腰を据《す》えるつもりだった。通路は狭く水は荒立っていた。巧妙でなければいけなかった。しかし民衆|煽動《せんどう》の二、三の世代を経たあとなので、職業上のあらゆる秘訣に通じてる一つの海賊人種ができ上がっていた。彼らは大胆に進んでいった。途中で沈没した者なんかには一|瞥《べつ》も注がなかった。
 それらの徒輩にはあらゆる党派の者が交じっていた。が幸いにも、その責任はどの党派にもなかった。しかしそれらの山師どもが、真面目《まじめ》な人々や信じきった人々へ起こさせる嫌悪の情は、ある者らをして自分の階級に絶望させるにいたった。オリヴィエが見た幾多の富裕な教養ある年若い中流人らのうちには、有産階級の失墜と自己の無用さとを感じてる者があった。オリヴィエもそういう人々に同感しやすい傾向をもっていた。彼らは、優秀者による民衆の改善を初めは信じ、通俗大学を建ててそれに多大の時間と金とを濫費し、そのあとで自分の努力の失敗を見てとったのである。彼らの希望は過大であったが、彼らの落胆も非常であった。民衆は彼らの呼び声に応じて集まって来なかった、もしくは逃げ出してしまった。幸いにやって来るとすれば、すべてのことを誤解して、有産階級の文化から悪徳をしか取り出さなかった。それにまた、多くの背徳漢が有産階級の使徒たちの間にはいり込んできて、民衆と有産者らとを同時に利用しながら、彼らの信用を失わしてしまった。そうなると、有産階級は呪《のろ》われたものであり、民衆を腐敗させることができるばかりであって、民衆はぜひともそれと袂別《べいべつ》すべきであり、単独で進んでゆくべきである、というように誠意ある人々には思われるのだった。それで彼らはもうなんらの実行もなし得なくなって、自分たちの力を俟《ま》たずかつ自分たちに反対して起こってくる一つの運動を、ただ予告するばかりだった。ある人々はそこに忍諦《にんてい》の喜びを見出した。自身の犠牲によって養われる、私心のない深い人類的同情、そうした同情の喜びを見出した。愛すること、自己を投げ出すこと! 若き人々は自分の資本にきわめて豊富であって、報酬を受けなくても済ましてゆける。欠乏を
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