優秀者はみずから思ってるよりもはるかに弱いものである。知力は一つの小島であって、人類の潮に噛《か》まれ削られ包み込まれる。潮が引くときにしかふたたび現われはしない。――一七八九年八月四日の夜に自分の権利を放棄した、フランスの特権者らの自己犠牲を、人は感嘆している。けれどもっとも感嘆すべきは実に、彼らが他になんとも仕方がなかったということである。私の想像によれば、彼らのうちの多数は自邸へ帰ってから、おそらくみずから言ったことであろう。「俺《おれ》はなんということをしたんだろう。俺は酔っ払っていたのだ……。」すばらしい陶酔ではないか! そのりっぱな葡萄《ぶどう》酒とそれを与えた葡萄樹とは讃《ほ》むべきかな! 旧フランスの特権者らを酩酊《めいてい》さした血を有する葡萄樹、それを植えたのは特権者自身ではなかった。すでに葡萄酒は醸《かも》されていた。それを飲むだけのことだった。飲んだ人々は頭が乱れた。少しも飲まなかった人々でさえ、酒樽《さかだる》の匂《にお》いを通りがかりに嗅《か》いだだけで、眩暈《めまい》を覚えた。大革命の葡萄収穫!……その一七八九年の葡萄酒からは、もう現在では、家の窖《あなぐら》に幾本かの空瓶《あきびん》が残ってるのみである。しかしわれわれの子孫らは、父祖がその酒に頭くらんだことを思い起こすだろう。
 オリヴィエの時代の若い有産者らの頭に上った葡萄酒は、より渋いがしかも同じく強烈なものだった。彼らは新しい神に、いまだ知られざりし神[#「いまだ知られざりし神」に傍点]に――民衆に、自分らの階級を犠牲として供えたのだった。

 もとより彼らは皆が同じように誠実ではなかった。多くの者は、自分らの階級を軽蔑《けいべつ》するふうをしながら、その階級から一頭地を抜くべき機会をしか、そこに認めていなかった。また大多数の者にとっては、それは知的な時間つぶしであり、演説の練習であって、まったく不面目なものだった。一つの主旨を信じ、その主旨のために戦ってい、あるいはこれから戦おうとし――少なくとも、戦い得るだろう、などと考えることは一つの楽しみである。何かの危険を冒してる、と考えることだけでも悪くはない。まったく芝居的な情緒である。
 この情緒は、なんらの利害の打算も交えずに率直に奉仕されるときには、きわめて潔白なものである。――しかしいっそう抜け目のない他の人々は、意識しな
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