配、一般投票、人間の平等――あらゆる信条は、もしそれを生かしてる力を見ずしてその理論的価値ばかりを見るならば、等しく馬鹿げたものであった。その平凡さなどはどうでもよいことだった。観念が世を征服するのは、観念たることによってではなく、力たることによってである。観念が人をとらえるのは、その知的内容によってではなく、歴史のある時期においてそれから発する活力的光輝によってである。それはあたかも立ちのぼる香気に似ている。もっとも鈍い嗅覚《きゅうかく》の者もそれにひかされる。もっとも崇高な観念といえども、長い間なんらの効果も与えないでいて、他日にわかに流行してくるのは、それ自身の真価によってではなくて、それを具現しそれに血を注ぎ込む一群の人々の真価によってである。そして今まで干乾《ひから》びていたその植物は、ジェリコの薔薇《ばら》は、突然花を開き、生長し、強烈な芳香を空中に充満させる。――花々しい軍旗を押し立てて労働階級を率い、有産階級の城砦《じょうさい》を攻撃せしむるにいたった、それらの思想は、有産階級の夢想者らの頭脳から出て来たものだった。それが有産者らの書物の中にとどまってる間は、あたかも死んでるのに等しかった。博物館の品物であり、ガラス棚《だな》の中の包み込まれたミイラであって、だれも目に止めるものはなかった。しかし民衆がそれを奪い取るや否や、民衆はそれを民衆化し、熱狂的な現実性をそれに付与した。そしてこの現実性のために、それは変形して、幻覚的な希望を、時代の熱風を、それら抽象的な論理の中に吹き込まれ、生き上がってきた。人から人へと伝わっていった。だれもみなそれに感染したが、だれによってまたいかにしてそれがもちきたされたかを知らなかった。それはほとんど人選びをしなかった。精神上の伝染が広がりつづけた。愚昧《ぐまい》な人々が優秀者へそれを伝えることさえあった。各人がみずから知らずしてそれをもち回っていた。
 こういう知的感染の現象は、すべての時代にまたすべての国にあるものである。たがいに門戸を閉ざし合った階級を維持せんとする貴族的な国家のうちにさえ、それが感ぜられる。けれども優秀者と衆人との間になんらの衛生境界をも保存しない民主国において、それはどこよりもことに猛烈である。優秀者もすぐに感染する。いかに高慢であり知力すぐれていても、その感染を免れることはできない。なぜなら
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