《とびら》を閉ざしながら、多くは仕事もしないでいっしょにふざけた。彼が外出するときには、犬は入り口で彼を待ち受けていて、あとについてきた。散歩の道連れが要《い》るからだった。犬は彼の前に駆け出して、飛ぶように早く四足で地面を蹴《け》散らしていった。早いのを得意げにときどき立ち止まった。そして胸をつき出し身をそらして彼をながめた。いつも威張った様子をしていた。木片があると猛烈に吠《ほ》えたてた。しかし遠くに他の犬を見つけるが早いか、全速力で逃げてきて、クリストフの膝《ひざ》の間に震えながら隠れた。クリストフはこの犬をからかいまたかわいがった。彼は人間から遠|退《の》いて以来、動物にいっそう親しい気持がしていた。動物はかわいそうなもののように思えた。憐《あわ》れな動物は、人物から親切にされるときには、ひどく信頼して身を任せるものである。人は彼らの生をも死をも掌中に握っているので、信頼しきってる弱い彼らを害する者があるとすれば、それはあたかも呪《のろ》うべき権力の濫用をなすものだと言うべきである。
このおとなしい犬は皆にたいしてやさしかったが、ことにアンナを好んでいた。アンナは別に犬を引きつけようとはしなかったが、ただ喜んで撫《な》でてやり、膝の上にすわらしてやり、食物の世話をしてやり、彼女相当の愛し方をしてやってるようだった。ところがある日、犬は一台の自動車の車輪を避けそこなった。ほとんど飼い主たちの眼前で轢《ひ》きつぶされた。まだ生きていて悲しげに泣いていた。ブラウンは帽子もかぶらずに家から飛び出した。血まみれの犬を抱き上げて、少なくともその苦痛を和らげてやろうとした。アンナもやって来たが、身をかがめもしないでうちながめ、不快そうに顔を渋めて、立ち去ってしまった。ブラウンは眼に涙を浮かべて、小さな動物の臨終の苦しみを見守った。クリストフは庭の中を大跨《おおまた》に歩き回り、両の拳《こぶし》を握りしめていた。アンナが平然と女中へ用を言いつけてるのが聞こえた。彼は言ってやった。
「あなたは平気なんですか、あなたは?」
彼女は答えた。
「どうにもできないではありませんか。考えないほうがよろしいんです。」
彼は彼女を憎い気がした。それから、返辞の滑稽《こっけい》さにびっくりした。そして笑い出した。悲しい事柄を考えない方法をアンナから教わりたいものだ、と彼は考えた。幸いに
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