リアス[#「イーリアス」に傍点]のごとき熱火の跡がどこにあるのか。詩人らにだけは世界の詩が見えないのか。」
「まあ急《せ》くなよ、君、急《せ》くなよ!」とオリヴィエは彼に答えた。「黙って、口をきかないで、耳を傾けてみたまえ……。」
しだいに、世界の心棒のきしる音が消え、舗石の上に響く実行の重い車のとどろきが、遠くに消え去っていった。そして、静寂の崇高な歌が起こってきた。
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蜜蜂の羽音、菩提樹《ぼだいじゅ》の香り……。
黄金《こがね》の唇《くち》もて野面《のづら》を掠《かす》むる
風……。
薔薇《ばら》の香《か》こめしやさしき雨音。
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詩人らの槌《つち》の音が聞こえてきた。それは花瓶《かびん》の側面に種々のものを彫りつけていた。
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いとも素朴《そぼく》なるものの高き品位。
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または、
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黄金の笛と黒檀《こくたん》の笛とを持てる
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真面目《まじめ》な快活な生活。または、
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如何《いか》なる影をも明るしとなす……
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という魂たちから湧《わ》き出る信仰の泉、敬虔《けいけん》な喜び。または、
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世の常ならぬ光を放てる
気高き顔もて……
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人をなだめ微笑《ほほえ》みかける、よき悲しみ。または、
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やさしき眼をば見開ける静けき死。
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それは清浄な声々の交響曲《シンフォニー》であった。コルネイユやユーゴーなどのような民衆的らっぱほどの響きをもってる声は一つもなかった。しかしその演奏はそれよりもいかに探さと色合いとに富んでいたことだろう! それこそ現在のヨーロッパじゅうでのもっとも豊かな音楽だった。
オリヴィエは黙然としてるクリストフに言った。
「もうわかったろうね?」
こんどはクリストフのほうから黙っていてくれとの様子をした。彼はもっと男々《おお》しい音楽のほうを好んではいたけれども、聞こえてくるその魂の森と泉とのささやきに恍惚《こうこつ》となっていた。その森と泉とは、諸民衆の一時的な争闘の間で、世界の永遠の若さを、
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美の温良さ
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を歌っていた。そして人類が、
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慴《おび》え吠《ほ》えつつ悲しげに訴えつつ
不毛の暗き畑中を回りに回る
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その一方に、また、幾百万の人々が、血にまみれた自由の破片を、懸命に争って奪い合ってる、その一方に、泉と森とはくり返し歌っていた。
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「自由よ!……自由よ!……聖なるかな、聖なるかな……。」
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けれどもそれらは、利己的な平安の夢に眠ってるのではなかった。詩人らの心の中には、悲壮な声が欠けてはいなかった。自負の声、愛の声、苦悶《くもん》の声、などが交じっていた。
それは
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猛《たけ》き力か深き柔和かを持てる
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酔い狂う※[#「風にょう+炎」、第4水準2−92−35]風《ひょうふう》であった。騒然たる武力であった。群集の熱を歌う人々の幻惑せる叙事詩であった。未来の都市[#「都市」に傍点]を鍛え出す、
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大なる火炉と巨《おおい》なる鉄敷《かなしき》との周囲
闇靄《やみもや》の中に浮かべる漆黒《しっこく》に光る顔、
つと伸び縮みする筋肉《にく》逞《たくま》しき背……
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などの人間神ら、息を切らしてる労働者ら、彼らの間における争闘であった。
それは、「知性の氷塊」の上に落ちかかる黒光りの明るみの中における、絶望的な狂喜をもってみずからおのれをさいなんでる、孤独な魂たちの悲壮な苦悶であった。
そういう理想主義者らの多くの特質は、一ドイツ人にとっては、フランス的というよりもいっそうドイツ的であるように思われた。しかしながら、だれも皆「フランスの微妙な説話」を愛していたし、ギリシャ神話の養液が彼らの詩のうちに流れていた。フランスの風景と日常の生活とは、ある人知れぬ魔力によって、彼らの瞳《ひとみ》の中ではアッチカの幻影となっていた。あたかもそれら二十世紀のフランス人らのうちに、古代の魂が残存してるかのようであり、その魂は美しい裸体にふたたびもどるため、近代の破れ衣を脱ぎ捨てたがってるかのようだった。
かかる詩の全体からは、ヨーロッパ以外ではどこにも見出し得られない、数世紀間に成熟した豊富な文明の香《かお》りが発散していた。一度|嗅《か》げばもはや忘れることのできない香りだった。世界各国の芸術家らがそれにひきつけられていた。そして彼らはフランスの詩人に、徹頭徹尾フランスの詩人になっていた。それらのアングロ・サクソン人、フラマン人、ギリシャ人などこそ、フランスの古典芸術が有するもっとも熱烈な徒弟であった。
クリストフはオリヴィエに案内されて、フランス詩神の沈思的な美をしみじみと感じさせられた。それでも心の底では、彼の趣味にとってはやや理知的すぎるその貴族的な人柄よりも、単純で健全で頑丈《がんじょう》で、それほど理屈ぽくなくてただ愛してくれる、美しい平民の娘のほうが、やはり好ましいのだった。
同様な美の香り[#「美の香り」に傍点]は、熟した苺《いちご》の香りが日に暖まった秋の森から立ちのぼるように、フランスのあらゆる芸術から立ちのぼっていた。草の中に隠れてるそれらの小さな苺の木の一つとしては、音楽があった。クリストフは自国において、まったく別な茂り方をしてる音楽の草むらに、いつも慣れていたので、最初はこの苺の木に気づかずに通り過ぎた。しかし今や彼は、その美妙な香りに振り向かせられた。音楽の名を僭《せん》してる茨《いばら》や枯れ葉の中に、少数の音楽家らの素朴なしかも精練された芸術を、彼はオリヴィエに助けられて見出した。民主主義の野菜畑や工場の煙の間に、サン・ドニーの野の中央に、神聖な小さな森の中に、あたりはばからぬ牧神たちが踊っていた。クリストフは驚いて、その諷刺《ふうし》的な朗らかな笛の歌に耳傾けた。彼がこれまで聞いた歌とは似てもつかぬものだった。
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細い小川で事足りぬ、
高い草、広い牧場、
またはやさしい柳の並木、
同じく歌う川の流れ、
それらを戦《そよ》がせんために。
蘆《あし》の小笛で事足りぬ、
森をも歌わせんために……。
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それらのピアノの小曲や小唄《こうた》に、フランスの室内音楽に、ドイツの芸術は一|瞥《べつ》も注ごうとしなかったし、クリストフ自身もその詩的妙技をこれまで閑却していたのであるが、その懶惰《らんだ》な優美さと表面の享楽主義との下に、クリストフはフランスの音楽家らが自己の芸術の未墾地の中に、未来を豊富ならしむるべき萌芽《ほうが》を捜し求めてる、革新の熱と焦慮とを、見出し始めたのだった。それはラインの彼方《かなた》には見られないことだった。ドイツの音楽家が父祖の陣営にうずくまり、過去の勝利を墻壁《しょうへき》として世界の進化をとどめんとしてる間に、世界は常に進みつづけていた。フランス人らは先頭に立って発見の道に突進していた。彼らは芸術の遠い領土を、消滅した太陽や輝き出した太陽を、探究していた。幾世紀もの長い眠りの後に、広大な夢に満ちてる大きなつぶらな眼を、ふたたび光明に向かって見開いてる極東や、または消え失《う》せてるギリシャなどを、探究していた。古典的な秩序と理性との才能によって開通されてる西欧の音楽のうちに、古い流行の水門を引き開けていた。そして、通俗的な旋律《メロディー》や律動《リズム》、異国的な古い音階、あるいは新しいあるいは改新された種々の音程など、世界のあらゆる水を、ヴェルサイユの池に引き入れていた。それより以前に印象派の画家たち――光におけるクリストファー・コロンブスら――が新しい世界を人の眼に開いてやったのと同じように、今やこの音楽家たちは、音の世界を征服しようと熱中していた。聴覚の神秘な深みのかなり奥まではいり込んでいた。その内海の中に新しい陸地を発見していた。だがなかなか彼らは、それらの征服を何かの役にたて得そうにもなかった。彼らは例によって世界の給養者にすぎなかった。
クリストフはこのフランス音楽の進取の気に感嘆した。昨日再生したばかりなのに、今日はすでに芸術の前衛として進んでいた。その華美な細そりした身体のうちにいかに大なる勇気があったことだろう! クリストフはその音楽のうちに先ごろ見てとっていた愚昧《ぐまい》さにたいしても、寛大とならざるを得なかった。けっして誤ることのないのは何事もなさない者ばかりである。生きたる真理のほうへ邁進《まいしん》する誤謬《ごびゅう》は、死んだ真理よりもいっそう豊饒《ほうじょう》である。
その結果はいかがであろうとも、実に驚くべき努力であった。最近三十五年間になされた仕事を、一八七〇年以前のむなしい眠りからフランス音楽を脱せしめんために費やされた精力の量を、オリヴィエはクリストフに示してやった。音楽の学校も、深い教養も、伝統も、大家も、聴衆も、何もなかったのだ。ただベルリオーズ一人のみだったがそれさえ呼吸困難と倦怠《けんたい》とに死にかかっていたのだ。そして今やクリストフは、国民を向上させるために働いた人々にたいして、尊敬の念を感じた。彼らの審美眼の狭小なことやまたは天才の欠乏をさえも、後はもはやとがめようとは思わなかった。彼らは一つの作品よりもさらに大きなものを、音楽的民衆を、創《つく》り出したのであった。新しいフランス音楽を鍛え上げた、それらの偉大なる労働者らのうちでも、ことにある一人の姿が彼にはなつかしかった。それはセザール・フランクの姿だった。育て上げた勝利を見ずに死んだフランクは、あたかも老シュルツのように、フランス芸術のもっとも暗澹《あんたん》たる時代の間に、自分の信仰の宝と民族の天才とを、おのれのうちに完全に保有していたのである。困窮と軽蔑《けいべつ》された労働との生活のうちに、忍耐強い魂の不変の清朗さを失わず、その諦《あきら》めの微笑で温良に満ちた作品を照らしていた、この天使のごとき楽匠が、音楽の聖者が、享楽的なパリーのまん中にいたことは、心打たるる光景だった。
フランスの深い生活を知らないクリストフにとっては、無信仰な民衆のさなかにこの信仰ある大芸術家がいたことは、ほとんど奇跡に近い現象と思われた。
しかしオリヴィエは静かに肩をそびやかした。清教徒たりしフランソア・ミレーに匹敵するほど、聖書《バイブル》の息吹《いぶ》きに満たされていた画家が、また明快なパストゥールほど、熱烈謙譲な信仰に貫かれていた学者が、ヨーロッパのいかなる国にいたかと反問した。――パストゥールこそは、無窮という観念の前には平伏し、その思想を奪われるときには、彼自身で言ってるとおり、「将《まさ》にパスカルの崇高な狂暴にとらわれんとしかかって、理性に宥恕《ゆうじょ》を求めながら、痛切な苦悩に陥った」のだった。確実な歩行で、一足も他にそれずに、「第一歩の自然界、極微なるものの大なる暗夜、生命の生まれ出てくるもっとも深い生物の深淵《しんえん》、」その中を彷徨《ほうこう》してる彼の、熱烈な理性にとっては、ミレーの雄々しい写実主義にとってと同じく、カトリック教ももはや邪魔物とはならなかった。そしてこのミレーやパストゥールは実に、田舎《いなか》の民衆の間から現われてきて、田舎の民衆の中から信仰を汲《く》みとったのだった。そういう信仰は常にフランスの土地に潜んでいて、煽動《せんどう》政治家らの弁舌によってもけっして打ち消されないものだった。オリヴィエはその信仰をよく知っていた。彼は胸の中にそれをになってるのであった。
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