間々には、生粋《きっすい》のフランス人などだった。
「その生粋のフランス人のことを僕は言ってるんだ。」とオリヴィエは言い返した。「君はまだその一人も見てはいない。遊蕩《ゆうとう》社会、快楽の獣ども、フランス人でもない奴ら、道楽者や政治家ややくざ者、国民に触れはしなくてその上を飛び過ぐる騒々しい連中ばかりだ。秋の日和《ひより》と豊かな果樹園とに寄ってくる蠅《はえ》の群れしか君は見ていない。勤勉な蜜蜂《みつばち》の巣、働きの都、研鑚《けんさん》の熱、それを君は眼に留めたことがないんだ。」
「いや、」とクリストフは言った、「選《よ》りぬきの知識階級も見たんだよ。」
「なんだって、二、三十人の文学者どものことなんだろう? 結構なことさ! 科学と実行とが大なる地位を占めた現今では、文学は民衆思想のもっとも浅薄な一層となってしまっている。しかもその文学においても、君は芝居をしか、贅沢《ぜいたく》な芝居をしか、ほとんど見てはいない。それは万国的旅館の富裕な客のためにできてる国際料理にすぎないのだ。なにパリーの芝居だって? 芝居でおよそどんなことが行なわれてるかを勉強家が知ってるとでも、君は思ってるのか。パストゥールは生涯《しょうがい》に十遍とは芝居へ行かなかったんだ。君はたいていの外国人と同様に、僕の国の小説を、大通りの芝居を、政治家らの策略を、馬鹿げて重大に考えてる……。がもし君が望むなら、いつでも僕は君に見せてあげよう、けっして小説を読まない婦人を、かつて芝居へ行ったことのないパリーの若い娘を、かつて政治に関係したことのない男子を――そしてそれが、知識階級のうちにあるのだ。君はまだ、僕の国の学者をも詩人をも見たことがないのだ。黙然として努力してる孤独な芸術家をも、革命家の燃えたった熱をも、見たことがないのだ。一人の偉大な信仰家をも、一人の偉大な無信仰家をも、見たことがないのだ。また民衆のことについては、云々《うんぬん》するのをよしたがいい。君を世話してくれたあの憐《あわ》れな女以外に、君は民衆について何を知ってるのか? どこで民衆を見たと言うのか。三階四階の上に住んでるパリー人を、君は幾人知ってるのか。そういう人々を知らなければ、フランスを知らないと同じだ。君は知るまいが、憐れな住居の中で、パリーの屋根裏で、黙々たる田舎《いなか》で、善良な誠実な心の人々が、その平凡な一生の間、りっぱな思想を胸にいだき、日々の克己《こっき》をつとめてる――それこそ、フランスに常に存在していた小さな教会――数の上では小さいが魂から言えば偉大な教会であって、ほとんど世にも知られず表面に現われる働きもしないけれど、しかもフランスのすべての力なのだ。優秀者と自称してる者どもがたえず腐敗し更新してゆくに引き変え、その力のみは黙々として永続してるのだ……。幸福ならんがために、いかにもして幸福ならんがために、生きてるのではなくて、自分の信念を果たさんがために、もしくは信念に奉仕せんがために生きてる、一人のフランス人を見出したら、君は定めて驚くだろう。ところが実際、僕のような、そしてもっと価値があり、もっと敬虔《けいけん》であり、もっと謙譲である、たくさんの人々がいて、一つの理想に、応《こた》えもしない神に、死ぬるまで撓《たわ》むことなく奉仕してるのだ。倹約で几帳面《きちょうめん》で勤勉で平静で、心の底には炎が眠ってる、細民階級――貴族の利己心に対抗しておのが「国土」を守護した犠牲的な民衆、眼玉の青い老ヴォーヴァン、それを君は知らないのだ。君は民衆を知らず、真の優秀者を知らないのだ。われわれの忠実な友となりわれわれを支持する伴侶《はんりょ》となる書物を、君は一冊でも読んだことがあるのか。献身と信念とが豊かに注ぎ込まれてるわれわれの若い諸雑誌を、君はその存在だけでも知ってるのか。われわれの太陽となって、その無言の光は偽善者どもの軍勢を恐れさしてる、精神的偉人らを、君は少しでも知ってるのか。偽善者どもは正面から戦うことをなし得ないで、彼らの前に出ると、よりよく欺かんがために腰をかがめている。偽善者こそ奴隷であり、奴隷こそ主人である。君は奴隷だけを知っていて、主人を知らない……。君はわれわれの戦いを見ても、その意味を理解しないために、無茶な混乱だと思ってしまったのだ。君は影と光の反映とだけを見て、内部の光を、古来引きつづいてるわれわれの魂を、見てとっていないのだ。君はかつてわれわれの魂を知ろうとつとめたことがあるのか。十字軍から革命政府《コンミューン》にいたるまでのフランス人の勇敢な行為を瞥見《べっけん》したことがあるのか。フランス精神の悲劇を洞見《どうけん》したことがあるのか。パスカルの深淵《しんえん》をのぞき込んだことがあるか。十世紀以上の間活動し創造しつづけてきた民衆、ゴチック芸術や十七世紀文化や革命によって世界を風靡《ふうび》した民衆、それをどうして誹謗《ひぼう》し得られよう! 幾度も熱火の試練を受け、鍛えに鍛えられ、かつて死滅せず、そのたびごとによみがえった民衆だ……。――君たちは皆そうなんだ。フランスに来る君の国の人たちが見るものは、われわれをかじってる寄生虫、文学政治財政の投機師、およびその用達人《ようたしにん》や顧客や情婦などばかりだ。そしては、フランスを蚕食《さんしょく》してるそれらの下賤《げせん》な奴らによって、フランスを批判している。迫害されてる真のフランス、フランスの田舎《いなか》にたくわえられてる活力、一時の主長者どもの喧騒《けんそう》には無関係で、ひたすら働いてる民衆、それに思いをはする者は君たちのうちに一人もない……。そうだ、君たちがそれを知らないのは当然すぎることだ。僕は君たちをとがめはしない。君たちにどうしてそれが知られよう? フランス人でさえフランスをよく知ってはいない。われわれのうちの優良な人々は、自分の国土において封鎖されとらわれてるのだ……。われわれがいかに苦しんだかは、だれもついに知り得ないだろう。われわれは民族的才能に執着して、それから受けた光明を、神聖な委託物として自分のうちに納め、それを消そうと努める害悪な息吹《いぶ》きに反抗して、必死に守っているのだ――異人種どもの腐爛《ふらん》した雰囲気《ふんいき》を周囲に感じながら、常に孤独であって、彼らから蠅《はえ》の群れのように思想によりたかられ、その忌まわしい蛆虫《うじむし》から理性をかじられ心を汚されているのだ――われわれを保護すべき役目をもってる人々から、指導者たる立場の人々から、下劣卑屈な批評家たちから、われわれはいつも裏切られており、彼らはわれわれと同人種であることを許されんために、敵に諛《へつら》ってばかりいるのだ――民衆からわれわれは見捨てられていて、民衆はわれわれのことを気にも留めず、われわれのことを知りさえもしないのだ……。民衆から知られるいかなる方法をわれわれはもっていよう? われわれは民衆まで達することができないのだ……。ああ、これがもっともつらいことなんだ! われわれと同じ考えをもってる者がフランスには無数にいることもわかっているし、われわれは彼らの代弁をしてるのだということもわかっているけれども、しかもわれわれは自分の言を人に聞かせることができないのだ! 新聞も雑誌も芝居も皆ことごとく敵の手中にある……。印刷機関はすべて思想物を避け、快楽の道具か党派の武器としてしか思想を認めない。いかなる団体も倶楽部《クラブ》も、われわれが堕落しなければ通してはくれない。困窮と極度の勉励とのためにわれわれは圧倒されてるのだ。政治家らは富むことばかりを考えていて、買収し得る無産階級にしか興味を寄せない。有産階級の者らは冷淡で利己主義であって、われわれが死ぬるのを傍観している。わが民衆はわれわれのことを知っていない。われわれと同じく戦いわれわれと同じく沈黙に包まれてる人々でさえ、われわれの存在を知らないでいるし、われわれもまた彼らの存在を知らない……。災いなるパリーなるかなだ! もちろんパリーは、フランス思想のあらゆる力を集合しながら役にもたった。しかしパリーがなした悪は少なくともその善に匹敵し得る。そして現在のような時代にあっては、善でさえも悪に変化してゆく。似而非《えせ》優秀者らが、一度パリーを奪って言論のらっぱの口をふさいだだけで、フランスの残りの声もみな抑圧されてしまう。のみならず、フランス自身もそのために身を誤っている。フランスは恐れて口をつぐみ、自分のうちにその思想を恐る恐る引っ込めてしまっている……。僕は昔それらのことをひどく苦しんだ。しかしクリストフ、僕はもう今では落ち着いている。僕は自分の力を悟り、わが民衆の力を悟った。洪水が通り過ぎるのを待ちさえすればよい。洪水もフランスの美《うる》わしい花崗岩《かこうがん》を浸食しはしないだろう。流されてきた泥《どろ》をかきわけて、僕は君にその花崗岩をさわらしてあげよう。そしてもうすでにここかしこに、その高い岩の頭がのぞき出している……。」
クリストフは、彼と同時代のフランスの詩人や音楽家や学者などを活気だたせてる、理想主義の巨大な力を見出した。一時的大家らが、露骨な肉感主義の騒々しさで、フランス思想の声を押っかぶせてる一方に、あまりに貴族的なフランス思想は、そういう下賤な徒輩の傲岸《ごうがん》な叫び声と暴力的な戦いをなすのを好まないで、ただその熱烈な専心的な歌を、自分のためと自分の神のためとに歌いつづけていた。そして外界の厭《いや》な喧騒《けんそう》を避けたがって、もっとも奥深い隠れ場所の中に、自分の城楼の中心に、引っ込んでるかの観さえあった。
詩人たち――この美しい名称は、新聞雑誌やもろもろの学芸院などによって、虚名と金銭とに飢えた饒舌《じょうぜつ》家どもにやたらに与えられているが、それに真に価する唯一の人たち――その詩人たちは、事物の外皮を切り裂くことができずにただかじってばかりいる、破廉恥な修辞法と賤《いや》しい写実主義とを軽蔑《けいべつ》して、魂の中心に立てこもり、形態と思想との世界が、あたかも湖水に落ちる急湍《きゅうたん》のように吸い込まれて、内的生活の色に染められる、神秘な幻像のうちに立てこもっていた。世界を改造せんために自己のうちに閉じこもるそういう理想主義は、あまりに固執的だったので、一般の者には近づきにくかった。クリストフでさえ初めはそれを理解しなかった。「広場の市」のあとで、あまりにその接触が唐突《とうとつ》だった。猛烈な争闘と生々《なまなま》しい光とから出て、沈黙と暗夜との中にはいったようなものだった。耳が鳴り響いていた。もう何にも見えなかった。彼は生を熱愛していたので、初めのうちはその対照が不快だった。フランスをくつがえし人類をゆるがす熱情の急流が、外部には怒号していた。そしてちょっと見ただけでは、芸術の中にはそういうものが少しも現われていなかった。クリストフはオリヴィエに尋ねた。
「君の国の人たちは、ドレフュース事件によって、星の世界までもち上げられ、また深淵《しんえん》の中に投げ込まれたじゃないか。そういう暴風が心中を吹き過ぎたような詩人は、どこにいるのか。目下宗教的な人々の魂の中には、教会の権力と良心の権利との間に、数世紀来のもっとも激しい戦いが行なわれてるじゃないか。その神聖な苦悩が心中に反映してるような詩人は、どこにいるのか。労働者階級は争闘の準備をし、幾多の国民は死滅し、幾多の国民は復活し、アルメニア人は虐殺され、アジアは千年の眠りから覚めて、ヨーロッパの鍵鑰《けんやく》たる巨大なるロシアを倒し、トルコはアダムのように白日の光に眼を開き、空中は人間から征服され、古い大地はわれわれの足下に割れて口を開き、一民衆をことごとく呑噬《どんぜい》している……。それらの異変はすべて二十年間のうちに行なわれ、幾多のイーリアス[#「イーリアス」に傍点]をこしらえ出すだけの材料がある。ところがそのイーリアス[#「イーリアス」に傍点]はどこにあるのか、君の国の詩人らの書物の中にイー
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