っては、理性のための戦いがいかなる他の戦いをも支配していた。実際的だと自称してる民衆らにはその戦いがいかに馬鹿げて見えようとも、それは取るに足らぬことだった。深い眼から見れば、世界の征服、大帝国、金銭、などのためにする戦いも、やはり徒《いたず》らなるものとしか見えないのだ。千年万年とたつうちには、それらの戦いから残るものは何一つないだろう。しかしながら、生にその価値を与えるところのものは、存在のあらゆる力が昂進《こうしん》してより高き存在[#「存在」に傍点]へおのれを犠牲にするほどの戦いの強度にあるとしたならば、理性のためにもしくは理性に反してフランスでなされてる永遠の戦いほど、生を光栄あらしむる戦いは世にあまりない。そして、そういう戦いの辛辣《しんらつ》な味を味わった人々にとっては、アングロ・サクソン人のあれほど慢《ほこ》りとしてる無感情的な信仰の自由も、男らしからぬ無味乾燥なものだと思われるのだった。アングロ・サクソン人は精力の用途を他に見出してその補いをつけていた。彼らの精力はその信仰の自由の中には存在しなかった。信仰の自由が偉大となるのはただ、敵対中においてそれが一つの勇武とな
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